「確信犯」とか「役不足」といった言葉は辞書と違う意味で使われる事が多く、口やかましい(と言っては失礼ですが)人はそのたびに「それは間違っとる!」と怒ることになります。
でもちょっと待ってください。言葉とは生き物です。どんどん変化していくものです。もし言葉が全く変わらないものだとしたら、僕らは今でも「ウキャキャ」とか「ウッホウッホ」と喋るようですし、文字だってくさび形文字がいいところでしょう。
というわけで、みんなが間違えて使うようになった言葉は、辞書の方が間違いになるのです。変化の過渡期にある言葉は、「辞書と違うからいかん!」ではなく、「そろそろ辞書を直そうか」と見るべきなのです。
てな事を言いながらも、「見れる」「食べれる」という「ら抜き」言葉を聞く度に「ムカッ!」とする私ですが。
でも、旧かなづかいで文章を書き、「マロは昨今の若者言葉は嫌いでおじゃる」なんて喋ったりするつもりはないです、さすがに。
おそらく、「自分が使ってきた言葉が変化していくこと」を受け入れられないのでしょうね。つまり、問題の根本は国語力ではなく、「最近の若者は...」と同じでジェネレーションギャップにあるのだと思います。
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