2005年8月 9日

”弊害”という名の責任押し付け論

歌舞伎町愛する“名物男”が、「浄化作戦」にゲキ!の中の一説

個人の権利を尊重しすぎる憲法や、日教組・全教の行き過ぎた平等化教育の弊害

こういうことを言う奴に問いたいが、じゃあ個人の権利を尊重した社会は実現できたのか?(まあこんな奴の発言も許されてるのだからそうかもしれないな)
「行き過ぎた」とおっしゃいますが”平等化”ってのは今まで一度でも実現したことがあるのかと。国会議員、官僚、裁判官、企業のトップ、…これらで女性が男性の数を上回ったことがありますか?
日教組日教組とたいてい教育の問題は日教組の影響「ということにし」ていますが、じゃあ今までその「日教組教育」のおかげで共産党政権ができたことありましたっけ?
…ないんですよね。じゃああなたの問題追及の矛先は明らかに間違っているようです。
「弊害」なんてオブラートに包んだような物言いをせず、「個人の尊重」や「平等教育」は「害」だと正直に主張されてはどうですかね。なーにが「弊害」だ。バーカ・か

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