村上春樹はこれが初読である。
村上春樹好きの人に、「これから入ったら」と入門してすすめられたのだ。で、その結果だが...
うん。わりとこのへんてこりんな設定、主人公の方はともかくとして、並行して進む猫の言葉を話せるおじさんの方の話は面白い。小説としてはこんな言い方は失礼かもしれないが、うまいと思う。けどなあ。作品からところどころ透けて見える作者の思想ってやつが、自分だめなんだわ。合わん。
村上春樹はこれが初読である。
村上春樹好きの人に、「これから入ったら」と入門してすすめられたのだ。で、その結果だが...
うん。わりとこのへんてこりんな設定、主人公の方はともかくとして、並行して進む猫の言葉を話せるおじさんの方の話は面白い。小説としてはこんな言い方は失礼かもしれないが、うまいと思う。けどなあ。作品からところどころ透けて見える作者の思想ってやつが、自分だめなんだわ。合わん。
読む本がなくなってしまい、この本を図書館で借りる。
「百年の誤読」は、20世紀のベストセラー100冊を、夏目漱石から「バカの壁」までずらりと並べ、二人の評者が対談形式でほめたりツッコんだり、バッサリ切ったり
する本である。二人のかけあいを見ていると、一読した本でも、「こんな見かたがあったのか」と思い、たとえ貶されている本でも、なんとなく興味が湧いてくるから不思議だ。必ずしも読者は紹介されている本について岡野、豊崎両氏と同じ読み方をしなくてもいい。特に未読の読者に対して、一つの観点を与えることで関心を持ってもらうことがこの本の目的なのだと思うし、そういう意味では大成功である。
国内文学編だけでなく、海外文学編もある。これで当分読書には困らなそう。というか、借りてきたけど常に手元に置いておきたい。買おうかな(笑)
私が間違ってました!
先日の推理披露の後、文庫版の最後に付いちぇいる「推理のヒント」を読んでみる。何!?○○が二つ!?そんな話聞いてないし。なんかまるで自分の推理とかけ離れていくではないか。
それで、ヒントに書いてあったことをもとに3回目の熟読。
せめて、犯人だけでも当たっててくれないかと、少し期待していた。
...間違っていた。
もう完全に分かった。犯人も、私の推理した人物とは違う。もう完全敗北。
東野先生まいりました。
これは、前回の「どちらかが彼女を殺した」と同じ趣向。最後まで読んでも犯人が誰かは書いていないので、読者が推理して結論を出さなければならない。
1回目はかなり適当に読んだ。最後まで読んだ時、まったく犯人の見当もつかなかった。2回目をかなり慎重に読み進め、ようやく、一つの解らしきものが見えてきた。しかし、思いついた解には瑕疵もあり、正直、自信はない。しかし、提示された条件を最も単純に満たすものといえば、この解ぐらいしかないように思える。
アフィリエイトの下でネタバレつきで開示。
7つの作中作のミステリからなるホラー仕立ての作品。
主人公(三津田信三)が友人とある本を発見して読み始める。その本は7つの物語から成っているが、1話読み終えるたびに、怪異な現象が主人公達を襲い、謎を解決しないとその現象が解消しない。1話ごとに作中作と解決編から構成されているので、1話ごとに謎解きが楽しめる。1話を読んでなるほどと思ったので、次から謎解きに挑戦してみた。おしいところまでいったのもあるが、5話、7話は見事、完全に正解に到達。やったぜ。
しかし、それだけではなかった!その7話が終わった後に、驚愕の結末が!
という風に、2重3重に仕掛けがほどこされており、十分に楽しめた。
先日、東野圭吾「どちらかが彼女を殺した」を途中まで読んでの推理をお伝えしたが、その後どうなったかというと...
まず、ウィーンに行く前に一度読み終わった。ご存じのように、この小説終わりまで読んでも「どちらが」彼女を殺したか書いてない。文庫版では袋とじでヒントがついてたが...
一回読んでも、犯人がさっぱり分からない!
仕方がないので、最初からもう一度、メモをとりつつ読み返すことに。
2度めの(ウィーンへの機中での)熟読の結果、ようやく犯人が分かった...と思う。はっきりとはしないのだが。
とったメモをそのまま以下に掲載する。。(ネタバレになるので注意)
ゴミ箱がちらかっている
薬の空袋は後でグラスのそばに置いた?自殺を装うため?
康正は佳世子が右利きかどうか観察する機会がじっくりあったはず。
筆は右。
便箋は、二枚目はくずかごの中(誤字あり) 一枚目はくずかごの外にあったはず
ワインを空にした理由
ワイングラスに薬を入れた理由
合鍵を郵便受けに入れた理由
潤一のアリバイ作り
きっかけは電話をした11時より前!
2時頃までのアリバイ工作にしたのはなぜか
発見時 空気は冷え切っていた
明かりは消えていた
何の写真を燃やした→猫の絵の写真
燃やしたのは誰か→園子?
なぜ燃やした
メモを書いたのは園子以外
メモが書かれた時園子は生きていた?
合鍵は二つ作った。一つ足りない→佳世子が持っていた。
佳世子は右利き
12時頃に男女の話声
土曜昼に訪問客
2時頃潤一に電話
佳世子の自白:10:30?
絆創膏→テープと間違い
実際に仕掛けもしてないし、目撃もしてない可能性
ただし、メモに使ったカレンダーについては正確
書いたか、書いてあるのを見た可能性
鍵は靴箱から盗み、後で郵便受けに返した?
もう一つは潤一が持っていた?
佳世子潤一二人とも、使った睡眠薬は一袋と主張
タイマーが一時にセットされていた
一時頃に明かりのついている人のを見た人がいる
園子の荷造りができていなかった
潤一が現場にいたことはほぼ確定(アリバイと12時頃の話声、メモの供述)
一時頃の明かりは佳世子?園子?
睡眠薬を破ったのは 佳世子?
残っていた破りあと、佳世子が破った破りあと、どちら利きを示す?
今「どちらかが彼女を殺した」文庫版を第四章183ページまで読んだところである。この作品は、結末があいまい、読者が推理を楽しむことになっているということだけ聞いている。途中まで読んで、ひっかかる部分があったので、この時点で推理を展開してみたい。ネタバレはご容赦、である。
まず、ひっかかったのは、「なぜこんなに筆記用具がないんだろう」という康正の台詞。筆記用具を隠す意図とは何か?まったく分からない。筆記用具は過去に登場しているか?読み直してみると、被害者の園子が冒頭で「便箋」に「万年筆」で何かを書いている!そしてその万年筆を「ピエロの形をしたペン立てに入れた。帽子をかぶせると、人形にしか見えなくなる」。これだ!第一発見者である康正は、この「ペン立て」に気付いていないのだ。便箋も「本棚にしまった」と書いてある。で、実は、カレンダーらしき紙の燃えかすを康正が発見(証拠は隠滅!)し、カレンダーの裏に「手帳の鉛筆」で何かが書かれたものを燃やしたのではないかという推理を康正が展開する。どうもこれを書いた人物は、被害者の園子ではないらしい。園子なら便箋や万年筆を使う方が自然だからだ。すると、園子と康正以外にここに入りこみ、何かをカレンダーの裏に書いた人物(ピエロのペン立てのことは知らない)と、それを燃やした人物がいるらしいということになる。このうちのどちらかが犯人なのか?犯人だとすると、こっそり始末せずに燃やしたのはなぜなのか?
何かを偽装したとも考えられるが、現時点ではまだ解明できない。
この問題は置いておいて、園子の死因を、次のように分類してみる。
(1)自殺(2)元恋人の潤一が殺した(3)友人の佳世子が殺した(4)康正が殺した(5)上記以外の誰かが殺した(6)自殺や殺人以外での事故死など
このうち、自殺である可能性はまだ否定できない。第一章の最後で、どちらかに殺されたいと園子が思っており、どちらかに罪を着せるように偽装をした上で自殺をはかった可能性も否定できない。なぜなら、自殺と考えるといろいろ怪しい点(紙の燃えかす、ロックされていないチェーン、ドアに入っていた合鍵、片づけられていないワイングラス、二袋ある睡眠薬の袋、ワインに増せられていた睡眠薬、半分残っていたワイン等々。康正がいくつかの証拠を隠滅してしまわなければ、警察は他殺を疑うに足る証拠もあったはず。
しかし、そうであったとしても、紙の燃えかすと鉛筆の件については、園子の仕業とは考えにくく、やはり誰かが現場にはいた可能性が高い。殺したのか、死ぬ前か後かは分からない。いたのが一人という保証もない。例えば、殺した人間と現場に細工をした人間、紙を書いた人間と燃やした人間が別々である可能性もある。
睡眠薬だが、園子(あるいは他の人間)が二人で飲もうとして、あるいは二人を眠らせようとして二倍入れたのかもしれない。
今のところ分かっているのはこれだけ。
依然、サッカー拒否症候群によりサッカー関係の話題はなし。
あの後、一気に「塔の断章」最後まで読んだ。
結論から言うと、私の予想のうち3分の1は外れていた。しかし、その3分の1が結構重要なファクタだったので、そこそこ楽しめた。
しかし、読後には若干の純粋な興味が残る。(以下ネタバレ)
だいたい、今回の私のような読み方をし、騙されるのが本作において正しい読み方なのだろうか?実際、語り手の回想で生理の話が出るまで、性別は明確にされてないと言っていい。ペンネームではない本名だって、「和実」みたいな、どっちともとれる名前だったり。そうすると、作者は自分の名前と性別をダシに使い、読者をだましにかかったのか?
しかし、そうだとして、その騙しに成功すると、私のように「誰が犯人か」の方は読者の予測が当たってしまうのだ。それはジレンマではないか?だが「犯人当て」の方は捨てて、断章に基づいた二重構造の方をメインにするのなら、そういう選択もありかも。そして、その騙しに最初から気付かない読者にとっては、「意外な犯人」と「二重構造」の2つの驚きが待っていると。そうだとすると、なかなか巧妙かもしれない。
私は「塔の断章」を読み進めるべきか?
「匣の中」に続いて、乾くるみ「塔の断章」(ノベルス版)を188ページ中22ページまで読んだ。この時点でかなり嫌な予感がする。この予感が当たらないでくれれば、と思う。
こういうことだ。まず、序章は、「女」が「男」に突き落とされる場面から始まる。この時点で、犯人は「男」に限定される。その後の章で、女性の登場人物は、自動的に容疑者から除外されることになる。読者に「女」と思われてる人物は、かなり優位ということになる。
で、本作の語り手、「辰巳先生」なる人物。明示的に女性とは描かれていないが、その所作の描写はどうも女性らしいところがある。平仮名の「わたし」という一人称、「小さな叫びをあげた」、女性と一緒にコーヒーの用意を手伝うなど。そして、22ページにおいて下の名前が明かされるのだが、「まるみ」と言うらしい。いかにも女性らしい名前だが、作家ならペンネームなのでどうにでもなるし、そもそもこの作者「乾くるみ」は男性である(このことは最近まで知らず、「匣の中」を読んで知った)。
そういう訳で、もしも本作がいわゆる「叙述トリック」で、一連の描写が読者を欺く罠であり、犯人が語り手=実は男の辰巳まるみだったりした日には...私はこの先読む必要はないかもしれないのである。
もちろん、私はそうでないことを祈っている。他の可能性がまだいろいろ残されているはずだ。某作品みたいに「辰巳先生が実は二人いた」節は、人数についての記述を見る限りでは否定的だが、「断章」というぐらいだから、序章の殺人と一章の殺人が別の事件な可能性だってある。
なんにせよ、最初に言った謎だけで終わってませんように。
多忙の上、1週間ほど風邪をひきこんでおり、更新が滞っております。
「意外な犯人」のミステリを探していて、ネットの情報で「匣の中」があがっていたので読み始めたら、どうやら「匣の中」は、「匣の中の失楽」へのオマージュらしい。「匣の中の失楽」も未読だったので、慌てて「匣の中の失楽」を入手し、「匣の中の失楽」→「匣の中」の順に読んだ。
オリジナル、「匣の中の失楽」の方は、エキサイティングだった。結末まで読まないうちに、自分のミステリーオールタイムベストが確定したほど。
何が素晴らしいか(以下ネタバレ含む)。
江戸川乱歩ばりに、オールドスタイルな美少年探偵が登場する...からではなくw、魅力的なのは「作中作」という物語構造。本作に先行する中井秀夫の「虚無への供物」でも作中作構造があるが、こちらはもっと徹底。なにしろ、章が進むごとに、「前までの章は小説で、こっちが現実」というのを繰り返す。おかげで読者は、どっちが小説でどっちが小説なのか、完全に混乱。
本作には密室がいくつか登場するがそのトリック自体は、それほど凄いものではない。凄いのは、その密室に対する作中での推理合戦で繰り広げられる、物理学から生物学から心理学、はたまた少女マンガ(萩尾望都!)までの、幅広い蘊蓄。密室を解くのに本気でハイゼンベルクの不確定性原理を持ち出した推理は初めて見た。
しかもその作中作構造や推理合戦が、荒唐無稽に行われているようにみえて、実は謎解きの伏線になっていたりする。
結末はまた旧本格にあるまじきアクロバティックなものなのだが、そのことや、密室などのトリック自体よりも、他の点にミステリとしての魅力をシフトさせた、そういう意味で本作は「新本格」の先駆けと言っていい存在と思う。
で、「匣の中」。
オマージュらしく、登場人物、構造からアイテム、話題に至るまでオリジナルと似せている。それでいながら、事件やトリックは独自の展開にしている。名作のオリジナルに真っ向から挑んだ度胸は評価したいし、かなりいいところまでいっている。特に、同じ乾の「イニシエーション・ラブ」のように読者に謎を残したままの結末などは、乾の本領で勝負できているとも言える。
が、それでも、やはりオリジナルの良さは越えられない。「匣の中」が決して悪くはないのだが、それだけ「匣の中の失楽」がグレイトということだ...
なんかラノベみたいだ。読んでないけど。
ミステリというふれこみで読んだんだが...、まず、タイトル通り本当に世界が「壊れて」いて、特に語り手である主人公がシスコンを始め特に壊れていて、読むのつらかった。これで、すごい意外な結末でも待っていてくれればまだ救われたのだが、そうでもなく。唯一の収穫は装丁で、「西尾維新」のアルファベットつづりが回文になっていることを知ったぐらいか。
この本の著者印税は被災地支援活動のため全額寄付されます!
この記事は川崎フロンターレのことをあまり知らない人向けに書かれています!
天野春果氏を知っていますか。おそらく、川崎フロンターレサポーターや一部のJリーグファン以外にはほとんど知られていないと思います。ですから、この本に書かれているいろいろな「仕掛けネタ(バナナやドリル)」のことを知ってる人は、その「ワケ」を理解する楽しみにあふれた本で、それで終わりなんですが、バナナやドリルエピソードを知らない人に、この本の魅力をどう伝えたらいいのか。悩んでしまいます。
川崎フロンターレは過去に、様々な面白い企画をうってきました。
どうしても勝てない鹿島アントラーズとの対戦を「K点越え」と銘うったり、エスパルス相手では「エースをねらえ!」をもじった「エスをねらえ!」(本当に岡ひろみの声優さんを連れてきて声をあててもらった)といったダジャレ、盛り上がりに欠けるダービーの代わりに、多摩川をはさんでお隣のFC東京との対戦を「多摩川クラシコ」と名付け、数々の企画をたてるなど。数えあげればキリがない。
多摩川クラシコでは、川崎からお隣の調布市に行くのに、電車、川渡りのツアー、はては船で大島⇒一泊⇒大島から飛行機で調布飛行場!という、陸海空を制したツアーという、バカバカしいけど壮大な企画がありました。
これらの名(迷?)企画を担当したのが先ほどご紹介した川崎フロンターレのプロモーション担当、天野氏なのです。
しかし、こういった一見おバカな企画の裏には、スポーツビジネスのロジックと天野氏のポリシーに基づく明確がビジョンがあったのです。
天野氏が就任した当初、人口100万人を越える政令指定都市川崎は、スポーツ不毛の地になりかけていました。過去にはプロ野球チームが去っていき、そしてヴェルディ川崎も。そんな中、まだJ2という、ほとんど注目されていなかったフロンターレ。市民のチームというより、富士通のチームというイメージが強く、観客もとうてい1万人には届かない、そんなチームも今では毎試合2万人近くの観客が押しよせる、人気チームに変貌しました。その裏には、まず企業チームのイメージをとり払い、市に応援を要請。またターゲットをファミリー層に設定して観客増を狙うといったビジョンのもとに、先ほど挙げた様々な企画で注目してもらう、また試合を見に来てもらうだけではなく、付加価値をつける、といった努力があったのです。
算数ドリルの件は、ニュースにもなったので知っている方もいるかもしれません。クラブが選手が載った算数ドリルを作成して市の小学校に配布したのです。これも地域貢献と、子供達にチームのことを知ってもらうという一石二鳥の意味があります。また本書では、なぜ算数ドリルだったのかという理由も明かされます。一つのことをやろうとすると色々大変なんですね...
ここまでで、川崎フロンターレというチームの面白さと、スポーツビジネスのノウハウと価値について理解いただければいいのですが、それでも足りなければ、こちらの著者インタビューをどうぞ。これだけ読めばすべてわかってしまうぐらい(笑)よくまとまっています。
本書を読んでなんとなく、乾くるみの「Jの神話」を思い出してしまった。二階堂さんには申し訳ない。
純粋にトリックに挑む「吸血の家」よりも、大きな謎があり、それを体当たりで解いていくところがホームズの冒険ぽくてよかった。というのが褒め言葉になってればいいけど。
ここ数ヶ月で、足跡トリックものを何作も読んだ気がする...
ネタは尽きないもんだね。とはいっても、ある程度のパターンは限られてくる。
しかし、それでも完全に謎を解きあかすのは、容易ではない。その他にいろいろな要素が絡んでくるからだ。
自分もいいところまではいったのだが、完全解明には至らず。そこそこ楽しかったっす。
この辺が有栖川先生の代表作と聞いて、読んでみた。
前に読んだ「英国庭園の謎」「海のある奈良に死す」には、作者と同名の作家が登場する。この2作にも同名の登場人物がいるのだが、こちらは大学生。探偵役も、大人の火村先生に対して、大学生の江神先輩が演じる。
この2作は双方とも、読みごたえはあった。謎もそれなりに大じかけだが、読みとくための材料は提供されており、フェアさは維持している。「双頭の悪魔」の方の最初の犯人とトリックはおかげで解くことができた。
本格ミステリって、謎を解いていくことも重要だけど、謎に特化するがゆえに、探偵や登場のキャラクターが実は重要。そういう意味では、有栖川作品も、二階堂蘭子シリーズも私的には合格。
新装文庫版。
東野圭吾「名探偵の掟」を読んでから、新本格に目覚めたのは既報の通り。
その後、有栖川有栖、二階堂黎人などに手を出しているが、一番最近読んだこれから。
この小説には密室トリックが出てくるが、トリック自体はあまり対しかことはない。密室が重要なのではなく、
ネタばらしすると、何重にも仕掛けがされたフーダニットかつ、ホワイダニット小説といったところか。
最後に挿入された「あとがきにかえて」の意味は解説を読んでもさっぱり分からなかった(結末もやや唐突)が、周囲のテキストを読んでなんとなく理解。この小説自体が作中のヒロインのモデルになった女性へのラブレターだということだが、作中やあとがきで、主人公である「探偵」は徹底的にそのヒロインに叩かれる。しかし、叩かれても、なおそのような探偵および「本格」的な小説への愛を作者は語っている。ある意味M。そんなとこだろうか。
最後のどんでん返しの連続は予想がつかず面白かった。法月綸太郎氏は同名の探偵が活躍する作品が知られているそうなので、そっちも読んでみたい。
名探偵の掟を読んでから、無性に本格的なものが読みたくて、有栖川初体験。
「英国庭園の謎」は短編集、「海のある奈良に死す」は長編。どっちも、軽く読めるのはいいが、トリックについては「ふーん」という程度のもの。知らないけど、有栖川先生の本領はこんなものじゃないはずだ。と勝手に解釈して、更に読むことに。
呪力という名のESP能力を持つ子供たち。しかしその教育は厳しく管理され、町の外に出ることも禁止されている。その外側には人語を話すバケネズミなど、奇妙な形の動物が...物語が進行するにつれ、そのすべてには「意味」があることが分かってくる。構想30年と聞くが、十分に作りこまれた世界とその謎解きは十分に堪能できる。
東野圭吾の本格物の楽屋オチみたいな小説「名探偵の掟」を読んだら、無性に本格物がまた読みたくなった。きっと東野さんの本格愛にあてられたせいだろう。それで、有栖川有栖もだが、今まで読んでなかった二階堂黎人も読もうと思い、手を出したのが「吸血の家」。二階堂蘭子が探偵役をつとめるシリーズの2作目だ。読んでみたが、足跡トリックでバリバリに本格していた。有栖川有栖もだが、二階堂黎人もどうやらヴァン・ダインにどっぷり傾倒しているようだ。私もヴァン・ダインはある時期に読み漁ったが、文体がペダンティック、やたら脚注があるということ以外、正直そんなに印象には残ってない。
で、肝心のトリックの方だが...この小説では3件の殺人事件が起きており、うち1件は昭和20年に起き、残り2件は昭和44年に起きている。そのうち昭和20年の方は足跡トリックなのだが、謎解きの前に私にはトリックが分かってしまった。といっても別にそんなに偉い訳でもなく、この本でも出てきているディクスン・カーなどが、本格のトリックについてはあらかたパターン化してしまっており、それを一個ずつ吟味していけば、消去法などで導出可能になっている。
正直、そんなにバリエーションはない。それを敢えてトリック中心でやろうとする新本格の方々の苦労はいかばかりか。しかし、残念ながら現実とはそんなものだ。
養護もしておくと、探偵役の、二階堂蘭子、記述役の二階堂黎人はキャラクターとしては好きだ。これは有栖川の火村、有栖コンビなどにも言えるが。キャラクターの魅力をほめられてもうれしくないかもしれないが。
ところで、二階堂黎人はWikipediaによれば、ブログで「東野圭吾の『容疑者Xの献身』は本格でない」という主旨のことを言ったそうだ。その東野圭吾の『名探偵の掟』には、こんな記述がある。
登場人物表を見て、私は笑い出した。(中略)人物紹介で、名探偵ってことはないだろう。探偵だけでいいじゃないか。書くなよ、恥ずかしい。何を考えているんだ、この作者は。
で、本作の「登場人物表」を見ると、
名探偵:二階堂蘭子
うわはは。案外この両者の因縁はこの辺が発端だったりして。
笑える東野圭吾を読んだ後に、桐野夏生でいきなりダークサイドまっしぐら。
「グロテスク」は昼はOL、夜は娼婦という二つの顔を持つ女性が殺害されたいわゆる東電OL殺人事件を題材にしているものの、話題性とは関係なく描かれるのは、悪意、しかも女性の日常的な悪意。
マドンナ・ヴェルデのドラマ第一回が始まった日、作者である海堂尊さんのノンフィクション「ゴーゴーAi」を購入。
Aiとは、オートプシー・イメージングの略で、死体画像診断のこと。「チーム・バチスタの栄光」を読むか観た人は知ってますね。死体をCTやMRIでスキャンして死因を調べること。そのAiの名付け親であり研究の先駆者でもある海堂さんが、Aiを普及させるべく奮闘する、リアルイノセントゲリラのような話。まだ途中だが、相当読みごたえありそう。
単純に有用な技術を医療、司法で活用することが、こんなに険しい道のりとは...既得権益を守ろうとする者たち、保守的な学会や官僚、大学や県とのはてしない戦い。イノセント・ゲリラのように論破によるすがすがしい勝利はないが、現実は小説よりも面白い。と言っては本人に失礼かもしれないが...
あ、ついでに。「マドンナ・ヴェルデ」は未読だけど、同じ物語を別視点から描いた「ジーン・ワルツ」は既読。既知のストーリーを別視点でなぞって、どれだけ楽しめるのかな?娘の代理出産をする母と娘の心情に迫るのかな?
こんなことを言うのはなんだが、私は東野圭吾がそんなに好きな方ではない。
(そこそこ読んではいるものの)今回読むことになったのは、「名探偵の掟」はミステリの楽屋落ちというか、本格風刺みたいなことをやっていると聞いたから。読んでみると、確かに、密室、ダイイングメッセージ、館ものなど、本格推理物の構造について、ネタばらしをしている、私好みの小説だった。しかも、それだけではなく、本格を解体した上で、その上にまたミステリを構築しようとしている作品もある(そうでない奴もあるが...)。後書きを読むと、東野さんはこういう古典本格物に対し問題提起したことに対して、自分の小説で解を提示しているらしいことである。そうなってくると、がぜん興味が湧く。
もう一つの、「超・殺人事」は、どうも同じテイストくさいので手を出してみた。こちらは推理小説そのもののパロディのようなもの。こちらも、特に最初の「超税金対策殺人」は笑かしてもらった。小説家が税金対策のために、なんでもかんでも経費で落とそうと、いろんなものを無理矢理推理小説に入れたあげく滅茶苦茶になってしまうという話。正直、東野圭吾にこんな笑いの才能があるとは以外だった。重い話よりもどちらかというとこっちの方が好きである。
ところで、「名探偵の掟」はドラマ化されているらしい。こんな推理小説そのものの構造を対象にした小説をドラマにするとなると、その面白さを表現するのは大変難しいことになりそう。TV向けにアレンジをするのが妥当なところか。「ハサミ男」の映像化同様、気になる映像化ではある。こわいもの見たさ。
町山智浩さんの著書「トラウマ映画館」の発売を記念して、新宿ロフトプラスワンでトークイベントが開催された。ゲストは、町山さん、作家の平山夢明さん、イラストレーターの三留まゆみさん、高橋ヨシキさん、特殊翻訳家柳下毅一郎さん。「映画秘宝」ではおなじみの面々。
幼少の頃に見たトラウマになってる映画ってありませんか?変にこわい映画だったり、暴力、セックスだったり。
私のトラウマ映画は、子供の頃テレビで見た、旅客機がアマゾンなかにかに墜落して、奇跡的に生き残った少女がジャングルをさまようという映画。なんでトラウマかというと、「足にウジがわく」というシーンがあってそれが怖かったのだ。
「トラウマ映画館」は、町山さんにとってのそういったトラウマ映画を集めた本。テレビ東京の昼とかに流されていたものが多く、日本でもDVD化もされていないものが多いが、今回書籍化にあたって町山さんは全部観たそうだ。トークショーはそういった映画をYouTubeを使って紹介しつつ、トークをくりひろげる趣向。前半は町山さん一人ゲストだったので、そこそこトークしていたけど、後半は他のみんながしゃべって、町山さんはそのネタの動画をYouTubeで検索する役に終始(笑)。
なんでみんな、こんな同じ変な映画の体験があるのかというと、テレビでやっていたからなんだね。DVDがあり、好きな映画を選択して観れるようになった現在と違い、昔は観る映画を選べなかった。だから全部観ていた。それでこういうトラウマ映画が生まれたと町山さん。ここにいるゲストの方々は、そういった体験があって今のお仕事をされていることを考えると、今の「トラウマ映画」が生まれにくくなっている状況は少々残念かも?
大変面白いイベントだった。19:30から始まって23時すぎまで、あっという間。トーク後にサイン会があったのでサインをいただいてきた。「未公開映画を観るTV、続編はあるんですか?」と聞いてみた。障害はどうやらスポンサーにお金がないせいらしい。
ここで紹介された映画の一覧を、記憶とtwitterでいただいた情報を含めてリストアップしてみる。
ところで、私のトラウマ映画だけど、今検索してみたらあっさり見つかった。「奇跡の詩」だそうです。ネットすごいな。
海堂作品は、どこかしら他の作品とつながっていて、本作も、既読の「極北クレイマー」や未読の「マドンナ・ヴェルデ」「医学のたまご」と関連している。サーガと化しているが、もちろん、単品としても楽しめるし、一度世界にハマってしまうと、次々と読みたくなる魔力を秘めている。
本作は、産婦人科の医療現場の現状を訴えるメッセージを込めているのだが、リアリズムにあふれているかというと、個々の場面ではそうなのだが、それが小説という枠に全部押しこめられると、やや現実離れしてきてしまうのは否めない。本作ではそれぞれ問題を抱えた5人の妊婦が登場し、(一人は流産)そのうち4人が同時に出産を迎える。そんなことありえん!と思ってしまう。それに、結末も、筆者がこうなっていいという理想の姿であり、現実にはなかなか厚労省の壁は敗れないし、地域医療も改善していかない。しかし、そこがいいのである。クライマックスの同時出産の場面は感動的だし、理想を描くことこそこの小説の目的なのだから。
この作品は、主人公曾根崎理恵を菅野美穂が演じることを知ってから読んだ。すると、場面場面で菅野さんをイメージしながら読めた。映画は未見だが、ナイスキャスティングではないかと思う。
まさに文字通り嵐。波瀾万丈の展開。
この本が「琉球王朝の実話に基づいた話?なんかつまんなそう」と思って本作を敬遠しているなら、その予見は100%誤りなので、それを捨ててまず読んでください!と言いたい。私も、同じ理由で敬遠していた。池上さんの本に前に手を出していなかったら、永遠に手にとらなかったかも。
こんなドラマチックな話こそ、大河ドラマにふさわしいのでは?私は新撰組以来見てないが、これを大河にしたら絶対見るよ。まあ絶対やたないだろうけど!
池上さんの作品の特徴は、まずキャラが濃い!本作でも、男装の主人公が霞むほど、周りのキャラ立ちまくり。中でも珠玉は、碧眼の女傑、聞得大君。この人は主人公の裏返しのような立場で、いわば敵役なんだけど、実はこの人の人生も波瀾万丈(少々ネタバレ)。
池上さんの作品の特徴その2、トンデモな設定。主人公は、女なので、琉球の王府の役人になれないために、宦官といつわり、科挙(試験)を受け合格する。そのまま役人になるのだが、いくらなんでもすぐバレるだろと思うでしょ。これがなかなかバレないんです。他にも「それはありえんやろー」というような、悲劇なのに思わず笑ってしまうような展開がしばしば。それでも、池上作品の場合はそんなことはどうでもいい、剛腕なストーリー運びで読者をそのまま結末まで猛スピードで運びさってしまう。タネのない体育会系マジックみたい。
アースシーの風読了。
第1作「影との戦い」を読んでから幾星霜。こんな長い期間かけてシリーズ物を読みきったのは、ナウシカ以来だ。
この最終作、いろいろな意味で読者の予想を裏切ってくれる。
まず、この話ではゲドはほとんど登場すらしない。もう「ゲドの武勲」は終わったのだ。代わ
りに活躍するのは、2の主人公テナー、3の主人公レバンネン、4の主人公?テハヌー、そして外伝「トンボ」の主人公アイリアン。こうしてみると、ゲド以外は完結編らしくオールスターキャストである。
しかし、さすがル・グィン、内容でも我々を裏切ってくれる。(ここからネタバレ注意)
ここにきて超重要な設定が登場。
人間が魔法を持つに至った過程が語られる。昔、竜と人間は一つだったというところから、人間と竜がそれぞれの道を行くため袂を分かったものの、人間が死への恐怖から逃れるため、魔法を生みだし、死者の魂を西の果ての石垣の向こうに閉じこめるようになる。レバンネン達はこの石垣を壊すために西へ。
が、ちょっと待ってください。かつて3「さいはての島へ」でクモがこの石垣を壊そうとした時、ゲドとレバンネンが阻止して物語が終わったはず。しかし、本作ではその結末を翻している訳だ。大胆というか...作者が過去に築いた男尊女卑というか男社会的な設定
(ローク学院は女人禁制)なども、どんどん壊してしまっている。
しかし、破壊の上に新たな創造をするのが、作家の本領。見事にアースシー世界を活かした設定とそれに基づくストーリー展開、そして結末。その手際に拍手を送りたい。
好みから言えば、シリーズの中では1「影との戦い」が一番好きである。
が、この「アースシーの風」は、作者の経験、歴史が結集した最高峰と位置づけてもいいだろう。
そして忠告を守り、外伝から先に読んでよかった。
子供の頃、こういうSFを少年向けにアレンジした本があって、それを読んだ記憶しかなかった。エイリアンが次々宇宙船を襲ってくる話で、読んでるとなんとなく思いだしてくるのだが、今改めて読んでみると、かなり雰囲気違ってる。まず、船内の権力闘争や政治的駆け引きがリアルに展開。主人公は総合科学という分野の科学者なのだが、最初は他の分野の科学者にも船の管理系にも相手にされなかったのが、徐々に力を手にしていく。そのやり口が、催眠で船員をコントロールとか、結構えげつない。エイリアン並の攻撃といえる。エイリアンものとしても、昔のSFにしてはエイリアンがバラエティに富んだ方々なので、十分楽しめると思うけどね。
ずっと前から存在は知っていたが、なんとなく敬遠していた。理屈っぽすぎるんじゃないかと。
話は一言で言うと、異星人とのファーストコンタクトもの。なんだけど、その異星人というのが、中性子星に住んでいる!中性子星は重力がすごいことになってるので、身体がひらべったいナ○クジみたいになってる。
さらにもう一つの大きな違いは(ネタバレ)おたがいにとっての時間の進み方。こっちの時間の100万倍の速さで向こうは行きている。ちょっと10分目を離したすきに向こうの人生は終わってる。そんな状態でコンタクトが可能なのか?
そんな興味もあるけど、一番面白いのは、その異星人たちの歴史。こんなフェイクの歴史をよく作ったな。道具の発見から政治、宗教戦争まで。これを読み終えた後で、巻末のナ○クジの絵を見せられると「うっ」ってなるんですけどね。でも面白かった!最近読んだSFの中では最高。
「イノセント・ゲリラの祝祭」の感想を書くの忘れてたらしい。
これは、田口、白鳥シリーズの系譜だが、この物語はまったくミステリーではない。一言で言うと、エーアイ(死体の画像診断)を推進したいという作者の主張を小説にして本にした、といったところか。
本作ではレギュラーの他、彦根という医者が登場し、厚労省の検討会で演説をぶちあげる。なんだか、作者を投影した人物のように思えるが、作者インタビューによるとそうではないらしい。この彦根のキャラクターと白鳥とは違うロジック展開が、ちょっと見面白くなさそうな題材を面白いものにしている。しかし賭けてもいいが、これは絶対フジのドラマにはならないよ♪
ところで、本作の中に、「北」の事件についての言及があるが、それが後になって読んだ「極北クレイマー」に描かれている。
現実に起きた福島県立大野病院で産科医が逮捕された事件をもとに(これは私も覚えている)地方医療の問題について鋭くえぐった作品。ここでは、白鳥の部下の私のごひいきの氷姫こと姫宮さんが登場するが、「螺鈿迷宮」のドジっ娘ぶりとはうって変わって、本来の能力を発揮し、病院をコントロール下に置くさまは痛快。
その他、ネタバレになってしまうが螺鈿迷宮の登場人物や、これも去年読んだ「ブラックペアン1988」の世良医師が登場。ここにきて、「桜宮サーガ」と呼ぶにふさわしい物語同士の融合ぶりが際だってきた。
で、「極北クレイマー」と「イノセント・ゲリラの祝祭」はそのまま、先日紹介した「アリアドネの弾丸」につながっている訳。
森博嗣のファンの方にはまことに申し訳ない。最初に謝っておきます。
ほんと、たぶん作風が私にまったく合わないです。1/4も読み進まないうちに耐えられなくなり、途中をすっとばし、最後のトリックの種あかしだけ見てしまった。「ふーん、こんなものか」という感想だったけど、そらそうでしょう...
何がダメかな...あの西之園萌絵とかいう、こっぱずかしい名前の、そして言動もギャルゲーのヒロインみたいなキャラのせいかな。犀川だっけ?そちの言動にももちろん問題はあるが。キャラクター小説というだけなら、同じメフィスト賞仲間の清涼院流水は大丈夫だったのに、こっちがダメというのは、自分でもよく分からないけど、たぶん探偵役二人のギャルゲー的設定にあるのだろうと推察。
これも、「あっ」というトリックの一つというふれこみで読んだ本。
まあ意外ではあったけど、そこまで驚きはしなかったな。
なんとなく全体的な雰囲気がドラマの「トリック」っぽい。というか、向こうがこっちっぽいというべきか。
最近、「びっくりするようなトリック」というネタサイトの情報をもとに、いろいろ読んでいる。
その中にあったのがこれ。
冒頭はかなりショッキング。ある画家が6人の娘たちをバラバラにする計画を練った文書が、密室で死んだ画家の部屋から発見され、その後実際にバラバラの殺人が起きる。
何のネタも読まずに、読み進んでいたら新鮮な驚きが得られたかもしれないのだが...私は失敗した。
なんと、先に蘇部健一の「六枚のとんかつ」を読んでしまっていたのだ。
その「六枚のとんかつ」の冒頭には、「この作品は『占星術殺人事件』のトリックを割ってしまう可能性がある」と忠告までされていた。
しかし、そんかことは、私はこの「占星術殺人事件」を読むまですっかり忘れていた。
そして、読み進むうちに、トリックが割れてしまうとともに、思い出したのだ。
なんてこった...
何も事前に情報がなければ、結構面白く読めたに違いないのに、残念だ。
田口、白鳥シリーズ第4弾、の最新刊。そして「チーム・バチスタ」以来、久々の殺人事件。ミステリーとての質、構成は、正直に言うとバチスタには及ばない。が、前作で主役をくってしまったスカラムーシュ彦根や、「螺鈿迷宮」の桜宮小百合、「ブラックペアン」の世良などが登場し、物語もすべての作品が一つにつながるような正真正銘、サーガの様相を呈してきて、それが面白い。そして更にこの後も続いていきそうな気配だ。
密室のトリックとしては、ああ、こんなものかという感じだったし、文庫版下巻の頭の方でなんとなく犯人は分かってしまった。それでも、哲学と密室を結びつけたロジック展開、過去と現在二つの重なる密室という仕掛けは楽しめた。しかも、なんかヴァン・ダインっぽい。この現代日本にファイロ・ヴァンスみたいな探偵小説をやる人がいるとは。
タイトル通り、1988のバブル絶頂期の話。それだけでなく、田口、白鳥シリーズの読者には見知った名前もちらほら。という楽しみもある。
内容自体は、ミステリーとしては「そうなのかあ」という感心以上の驚きはあまりないが、作者の描きたかったことはおそらくそこではなく、この時期を境に大きく変わり始めた医療現場、そこに立たされたそれぞれの医者達の心理、なのだろう。「チーム・バチスタ」等では食えない病院長役の高階だが、本作でも、決して善玉でもない、ちょっと変わった役まわりをやっている。
面白く読んだが、今読んでいる「レディ・ジョーカー」と比べると、ややボリューム感に欠け、あっという間に終わってしまう物足りない印象。まあ比べるものが間違ってるのだが、「螺鈿迷宮」などとも比べても、詰めこんでいるガジェットの量が少ないような...
どちらも、少年が主人公。冬の少年は、若干あまずっぱい青春の味。夜の鳥は...なんかせつない。どちらも、父親が鍵になっている。前者は行方不明になり、後者は出勤拒否に。子供って、ただ純粋な訳ではなく、子供には子供の社会がある。そんなことを思いださせた。
この本は面白い。まずはそれだけを知って読むことをおすすめする。
それでも納得いかない方は、少しネタバレしよう。なぜこの本が面白いか。それは、堅牢強固な意志の力である。
なに、まだ納得いかない?仕方ないな。とにかく、沢蟹まけるというのはこの小説の主人公ではない。主人公は、「意志の力」そのもの。あらゆる無茶ぶりを、意志の力という理由づけがどんどん解決。その無謀ぶりは皇帝級。非常にバカバカしいが、それでもこの本は真面目にその意志の力について追求する。が、やはりバカバカしい。冒頭の、延々狸に化かされ続けるくだり。ひたすら捕まり続けるレーゲンヴァッサー教授。麻薬のような笑い。癖になるよ。
これは、二人の少女誘拐事件を追うミステリ。クリスマス前に二人の少女が誘拐される。このような事件は前にも起きており、誘拐されるのは美人つまり本命と、そうでない子。そうでない子は先に殺される。本命の子はクリスマスに...。犯人は誰か?今回、少女は助かるのか?この本はその謎を追う形になっており、それはそれで読者は早く結末を知りたくて読みすすめるのだけど、それ以上に注目されるのが、それぞれの登場人物のユニークさ。15年前に同様の事件で妹を失なった双子の警官。娘の両親たち。警官とFBI捜査官。顔に傷を持つ女性分析医。等々。中でも異彩を放っているのが、誘拐された「そうでない方」の少女、サディ。この子がとんでもないいたずら好きでホラー映画好き。本文中にも「この子のことは絶対好きになる」という言葉があるが、まさに愛さずにはいられないキャラ。そんな彼女が同じくさらわれた少女グウェンとともに脱出すべく大活躍するのだが、最後にとんでもない結末が...めったにこんなことは言わないが、「読んでのお楽しみ」である。
男が妻を殺して、その身体をバラバラにして4人の子供の腹に埋めこんだ。そんなショッキングな話を祖父から聞いた男が、それぞれの子供たちのその後について、知っていく物語。書いていて気付いたのだが、この男はその子供達に直接会ったりしている訳ではない。物語は最初の祖父の話と、4人それぞれのパートからなっているが、すべてのエピソードが伝聞なのだ、。だからそれが本当かは実は分からないし、それを言ってしまえばそもそも、祖父が言った話すら本当か疑わしい。ただ仮にそういう兄弟姉妹がいた、というだけのことかもしれない。
なーんて、読者を煙に巻くというか、この小説はその手のたぐいのものらしい。「騙り」ってやつ。
ヒストリアンとは歴史学者のこと。歴史といっても、この物語はたった一人の人物、ドラキュラのモデルとなった実在のヴラド公にかかわる歴史を、三代にわたって追跡する話である。ドラキュラだけに、その途中怪異な現象が起きたり、小説のドラキュラなみに十字架やニンニクが活躍したりする。が、ただの恐怖ではなく、それぞれの世代の歴史学者:ヒストリアンが、歴史を追いながら謎を解く仕掛けになっている。そこが面白い。映画化の企画もあるそうだが、映画にしたらただのホラーになってしまいそうだなあ。
ライラの冒険シリーズ読み終わった。1巻めの期待を遥かに超える壮大なスケールの物語になった。2巻めでは予想通り我々の世界が登場。それで、魔女のいる世界と、ダークマター(暗黒物質)が同居することに。また、最初はただの味つけ的な設定かと思いきや、これが物語の根幹の要素だった。ストーリーだけでなく、車輪の生物や、小さい部族など、センスオブワンダーあふれるキャラクター達も魅力。しかし、最も輝いてるのは、善悪定かならぬ魅惑の美女、コールター夫人。あんまりファンタジーにはいないタイプで、そこがまたよい。
しかし、2巻からはやや血なまぐさいシーンもあり、子供というよりは大人向けの童話といった方がふさわしいか。そこがまた魅力でもあるのだけれど。
18世紀、サー・クリストファー・レン(『ロンドン』にも登場する実在の人物)存命中の時代の連続殺人と、現代の連続殺人が時空を超えて絡みあう話。一言で言うとそんな感じ。いろいろ仕掛けがあって、18世紀の主人公ダイアーの部下がウォルター・パイン、現代の主人公ホークスムアの部下がウォルター・ペイン、下宿の主人が18世紀ヴェスト夫人、現代ウェスト夫人など。殺される人やタイミングも酷似していて、なんとなく両者がつながっていくラストを想定させる。もちろんハリウッドSFみたいなことにはならないし、わりとあっけない結末とも言えるが、18世紀と現代の文体の違いとか、前述の工夫があってなかなか楽しめる。まあまあ、といったところ。
このアクロイドという作家は他にも似たようなのをたくさん書いてるらしい。
サッカー批評の欧州版だが、これが濃い~戦術論バリバリ。それだけでなく、昔からのサッカーファンには懐しい思い出も。かつてのバルサもそうだし、私にとってはなんといってもカルチョ。
冒頭のカペッロのインタビューでは、かつてカペッロ率いる4-4-2ミランが、ゼーマン率いる4-3-3ラツィオと対戦した後の、「適地で3トップは危険すぎる」とコメントしたことを思い出させた。その頃から一貫して4-4-2を貫き、3トップを「偽FW」と公言してはばからない。これはある意味いさぎよいとも思うが、面白い。「21世紀の戦術論」というタイトルなのに、「サッカーにイノベーションはない」という持論を主張し続けるのも。
その他にも、バッジョ、ゾラ、シニョーリなどのかつてのファンタジスタ達など、懐しい顔ぶれも。それにしてもファンタジスタはイタリアだけでなく、どこでもそんなに居場所はなくなってしまった気がするが...
いやー長かったぜよ。読み終わるまで。
この「ロンドン」はローマ帝国の昔から現代まで、ロンドンの歴史とともに歩む、壮大な物語である。主人公は当然一人ではない。何人かの人物と、その家系の子孫がそれぞれの時代nに分かれたエピソードにおけるメインキャストとなる。これが結構はまる。それぞれのエピソードが、単独でよくできていて、それだけでも面白いのだが、本の頭に家系図がついていて、それを参照しながら読むと、より楽しみがます。この仕組みを考えた作者はえらい。それだけでなく、日本人の我々にとってはロンドンの歴史についても理解が深まる。一石三鳥。
「最悪」がちょっと良かったので、読んでみた。
これは「空中ブランコ」とも、「最悪」とも違うテイストで、少年の目で物語が展開。かなり大人には甘酸っぱいテイスト。いろいろ引き出しを持った多才な人なんだね。
この本の出色はやはり、主人公のオヤジ。元過激派で行動がハチャメチャなんだが、カッコいい。他の過激派のように集団で群れることなく、自分を貫いてるからだろうね。こういう人がほぼ絶滅している現在ではファンタジーだが、それだけに訴えるものがある。
「二郎、世の中にはな、最後まで抵抗することで徐々に変わっていくことがあるんだ。奴隷制度や公民権運動がそうだ。平等は心やさしい権力者が与えたものではない。人民が戦って勝ち得たものだ。誰かが戦わない限り、社会は変わらない」
墓場まで持っていってもいい名言だ。
物語は主人公が沖縄、西表に行くことで、過去の琉球時代の沖縄、そして一人のレジスタンスの歴史に重ねられる。本の中にもある通り、「本土」の人達は沖縄の歴史についてあまりにも知らなさすぎる。私も、実際に沖縄を訪れ、資料館などを見学するまでは、ほとんど知らなかった。普天間の基地問題などは、沖縄史を知っていないと、本当にその地元の人たちの想いは理解できないかもしれない。
(ややネタバレ)
表と裏を点対称にし、2つの物語をどちらからでも読める装幀、真ん中の袋とじされた「解決編」(図書館のなので開封されてるけど)...。いやがおうでも読書前の期待感は高まる。あれやこれやどんな仕掛けが待ってるのかと...。
が、読んでみて「あれ?」これ、叙述でもなんでもないし、普通にものごとが展開してるだけじゃん。かなーり拍子抜け。最近の折原一ってこんなんばっか?もう叙述は飽きたのかなあ。
私の本の師匠に、豊崎由美という方がいらっしゃいます。師匠といっても面識がある訳じゃないですが。その方の勧める本は大体面白く読めます。ただ、中には例外が...
伊坂幸太郎って結局、あんまり好きになれない作家だなあ。やっぱりなんていうか、その甘さが。
この小説も、話自体はよくできていると思うんだけど、奥底のところでなんか同調できない。この小説の場合は登場人物だし、「死神の精度」は話そのもの。
ところで、これ映画化されてDVDに「ミステリ」ってあるけど、これミステリじゃないだろ...
ちょっと前の本になってしまった。
松尾さん、トンデモネタをとりあげるのはいいんだけど、ちょっと真面目すぎて、文にちょっと面白みが欠ける。と学会のようにもう少し芸を発揮してほしいと思う。その物足りなさを補ってあまりあるのが、全ネタについてくるしりあがり寿のイラスト、というか1コマ漫画。ちゃんとテーマに沿っていてしかもおもろい。しりあがりさんの漫画を読むだけでも価値ありまっせ、これ。
空中ブランコの奥田英朗の「最悪」。
最初は、3人の人物のストーリーが個別に進み、最後にどこかで一つになる。実は、ちょっと読み進めると、どんな事件が起き、誰がどういう立場で加わるかは分かってしまう。だからそんなことはこの小説の醍醐味ではない。真の醍醐味は、タイトル通り、その3人の立場がどんどん悪化していく事だ。必ず来る臨界点に向けて、まっしぐらに状況が進む。この言いようもない絶望感。これだ。ちなみにここは伊良部シリーズのような笑いは一切なし。
懲りずに京極堂。
ちょっとネタバレすると、「絡新婦(じょろうぐも)の理(ことわり) 」と構造がんあんとなく似てる。でも違うのは、最初からいろいろな事件、というか出来事が起こるのだが、それがだどうつながってくるのか読み進めてもまったくわからない。全体がもっともやもやしていて、先が見えないこと。まさに蜃気楼。解決はあっけないけど、まあこれもいつも通り。オンモラキよりは面白かたよ。
ドラマも映画も見てない。
あまり期待はしてながったが、以外と軽い読物で感心した。貶してるのではんく、軽いのがいいこともある。謎は科学絡みなのだが、変に複雑になることもなく、ほぼ1つの謎でシンプル。あとはそこに絡む群像のドラマ。いいね。巻末の解説を読んだら、湯川のモデルは佐野史郎だったらしい。だったらなんでドラマは佐野じゃないんだろうね。しかも草薙が女って。竹内結子の田口先生なみにおどろくわ。
今の現実世界に似たパラレルワールド、日本が英国の植民地になっているような世界。しかもその植民地の中のある島では、「ヒガン」と呼ばれる、生者が死者(ほんものの)に会いに行くイベントを開催中。そんな中で殺人が置き、主人公たちはその解決にのりだすことに。なんというか、現実とは違うルールの世界でのミステリーって、一見なんでもありになってしむので難しいのだが、本作ではうまくルールを決め、それにのせる形でフェアにミステリを作っている。謎の方は分かりやすくなってはいる。しかし、本作のメインはやはりミステリではなく、ファンタジーとしての世界構築だろう。日本や英国をベースにしながら、それを融合させて、緻密に、本当にありそうなリアルな世界ができあがっている。見事。巻末の解説で萩尾望都がその世界にまた詳細な分析をしていて、楽しみがプラス。
しばらくいろんな本を読んできて、ふと、読むものが切れた時に「理由」「火車」を再読してみた。
やっぱり、「語り方」がうまいよね。この人。両者は、前者が第三者視点、後者はある一人の視点と、まったく違う視点で描かれているが、どちらも読むものを引きつけて離さない魅力がある。
結末が分かっちゃってても、もう一度読めるミステリってなかなかないよ。
双葉文庫版(日本推理作家協会賞受賞作品全集)で、第一部177pまで読んでの推理。
ネタバレするかもしれないので、未読の方はご注意。
折原さんとは何度も「対戦」しているので、ある程度手の内は見えて...いるか?
まず、いきなり核心?から。
冒頭の「3年A組名簿」だが、これは1973年4月1日時点のものだ。つまり卒業名簿ではない。
後で、同窓会幹事なるものが出した名簿が文中に登場するが、これはその名簿と構成は同じだろうか?4/1名簿は、男16人女14人の30人だし、同窓会が出した名簿も「男16人」とある(74p)。
ところが、それは実はおかしい。ゴールデンウィークに「足立」なる転校生が増えて、またすぐ減っている。それはプラマイゼロとしても、その後読み進めると、男子生徒が一人、自殺してしまっているのだ。4/1名簿にも名がある稲垣公夫だ。そうすると、普通に考えれば、4/1名簿の16人と同窓会名簿の16人が同じとは考えにくい。同窓会名簿に稲垣の名前がないとすると、そこに載っているのは誰か。転校生「足立」か?
ここまで進めて、更に奇妙なことに気付く。4/1名簿には、「足立啓介」なる名がすでにある。しかし、「足立」の転校は5月じゃなかったか?すると、4/1の時点で最初から名があるのはおかしい。41pにも、「全部で三十人です」とあるので、最初に30人いたのは間違いないようだ。どういうことか。
転校生「足立」のくだりをよく読むと、「足立」は一度も下の名前で呼ばれていない。祖父ですら「孫」と言っている。ということは、転校生「足立」は、4/1からいた「足立啓介」とは別人である可能性が高い。この隠された転校生は怪しい。同窓会名簿は、つまり2人の足立を入れて30人なのか?それは読み進めないとわからないが...
もう一つ気になるのは、「過去」のくだりではその語り手である「私=3年A組教師」の名前が一度も登場しないことだ。「現在」では、3年A組の担任は脇坂という名前であったことが知らされている。が、「過去」にその名が登場しないのは...これも怪しい。
ついでに、「過去」時制で映画「エクソシスト」の話題が出てきた(12p)ので、これも調べてみた。
アメリカでの公開は1973年12月だが、日本での公開は1974年7月だ。これはおかしくないか。プロローグに出てきた少年というのは、そうすると、74年3月卒業の3年A組の生徒ではない可能性が高い。少なくとも74年7月よりも後でなければ不自然だからだ。とすると、プロローグの場面は何年のことなのだろうか。
分かっているのはこんなところか。では、読みすすめますか。
変態医師伊良部シリーズの3作目。前作までと違い、今回はやけに実在の人物を題材にしたものが多いような。球団のオーナーでもある大新聞社の社長とか、女優の「白木かおる」とか。
そんな中、一番面白かったのは最後の表題作。島をまっ二つに分けて争われる町長選挙。伊良部も巻きこんでのドタバタ。まあありきたりな結末ではあるが、主人公の苦悩ぶりがリアルで笑える。
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この本はちょっと前から読みだしたのだが、アニメ化されていることも、その主題歌を先日のMaynが歌っていることもまったく知らなかった。この話の設定は凄い、地球温暖化対策を進めた結果東京は地上が森になり、人々は空中の「アトラス」という巨大建造物に都市を作り住んでいる。また、「炭素経済」と呼ぶ炭素(実体のない)取り引きが世界の経済の中心となっている。主人公は急激な森林化に反対するレジスタンス組織で、抵抗のために森をガンガン燃やしてCO2を増やしたりする。これだけでも、倫理とか常識を越えたタブー破りのトンデモものだ(物語の結末では、更に大きなタブーに挑んだりしているのだが、ここでは言わないでおく)。
更に特徴的なのは、セーター服の主人公を筆頭に、主要登場人物のほとんどが女性か、オカマということ。しかもオカマの心情の機微の描写が多い。SFでこんなのも初だろう。
池上永一は「レギオス」もそうだが、登場人物のキャラクター設定が極端で、ある意味アニメ的とも言える。
そんな「シャングリ・ラ」アニメの方も見てみたが、原作からはやや外れた展開になっているようだ。総話数の関係か知らないが、スピード感に溢れる原作の展開に比べ、どうもテンポが遅い。
結構一気に読めてしまうところがこの本のいいところなんだが。あと、前述のオカマ重視も薄められ物語の彩り程度に後退。まあそれは仕方がないが、この調子ではラストも大きく変更があるとみた。
オリジナル、ジュールヴェルヌの地底旅行を、明治末期テイストで焼直し。
この物語を一言でまとめてしまうとこうなのでが、それだけでは語れない味がある。
たぶん、話し言葉から、ツッコミのしかた、当時の時代人ならこう考えそうなこと、例に持ちだすアイテムまでとことん再現することが、一種の芸にまで昇華していて、その時代をそのまま感じられることが面白さの要素なのだと思う。もう一つの重要要素、それは面白さというか、可笑しさ。スラップスティックといってもいい。とにかく、メインの登場人物であるところの丙三郎のダメ人間ぶりがなんとも愛らしい。人間的には卑怯で小心者なのに威張っていて、小さい奴なのに、こんな愛されていいのだろうか。
この話のモチーフになったのは「盗まれた街」なんだろうけど、終わり方や全体に流れる雰囲気は「ブラッド・ミュージック」や諸星大二郎のSF「生物都市」を彷彿とさせる。
じわじわ恐くて、最後にはどうでもよくなる。余韻ありまくり。やはりうまいですな。
舞台となった堀に囲まれた町(福岡の柳川というところらしい)に行ってみたくなった。
なんだか、男の怪しい愛が見えかくれする小説というと、腐女子向け小説のようだが、どうしてそうして、中身はとても硬質なアクション。吉田秋生の「BANANA FISH」や「「YASHA」を連想していただければいいだろうか。とにかく最初から最後まで、目を離させず一気に読ませる語りが凄い。この人の作品は「マークスの山」を読んだはずだが、もはや内容も覚えていないというのに...
これが直木賞受賞作。
前作の「イン・ザ・プール」からずっとパターン一緒だけどね。伊良部のとこに来た患者が奇行にふりまわされつつ、最後にはなんか治ってる、みたいな。
今回は表題作の伊良部が空中ブランコ!というインパクトが一番かな。
「墨守」という言葉を私は知らず、したがってこのタイトルの面白みもわからいのだが、それでも十分中身は面白い。弱小国を守りきる戦いは、「がんばれ!ベアーズ」とか、弱小チームを強くする定番のスポーツドラマに通じるものがあるような。しかもそういったセオリーを裏切って主人公が...なのもまたよい。
うまいよね、やっぱこの人。
複数視点で書いたの、これだったね。「夜ピク」とも、「ねじの回転」とも、「月の裏側」とも違ったスタイル。ある面では、「理由」を連想させるし、別の面では、「火車」や「白夜行」を連想させる。しかし、そのどちらとも違う、なんともいえないしかも、余韻を残す終わり方。悪くないです。
オサレな小説だと思ってました。大いなる勘違いでした。
言うなれば、「チーム・バチスタ」の白鳥みたいな医者の話で、しかもシリアスでもなく基本的に話がバカ。単純おもろい。いくらでもシリーズ化できそうな感じ。
直木賞候補になった作品。なんでなったのかは読んでもよくわからないけど、複数の第三者視点の語り口を駆使したミステリ、ということかな。最近読んだ恩田陸ですでに似たようなのがあったり、それほど目新しいということでもないと思うけど。一応、伏線があって、それを拾っていくとうまく気付けるような仕組になっております。
インパクトとしても、衝撃を浮けた「慟哭」などに比べるとやや弱いかな。
山中千尋、じゃなかった、ろひちかなまやさんのブログに、中原昌也のことが書いてあって、「おお!」と思った今日この頃です。
はさておき、「ニートピア2010」よりも前に書かれたこの本、「ニートピア」の方がいろいろ技巧的な試みがあって面白いが、両者に通じる空気というか、世界観は変わらないのでそこは楽しめる。
「点滅...」は芥川賞にかすりもしなかったそうだが、こりゃ分かってもらえんかなあ。私はいいと思うけど。
以前「夜のピクニック」を読んであまり感心しなかったので、しばらくこの作家からは離れていたが、ふとまた読んでみた。驚いた。「夜ピク」とはまったく違う男オトコしたSFの世界がそこに。
副題が「Februaru moments」。二二六事件の現場が舞台になっているので、登場人物は男(兵隊)ばかり。自分はそれが好きな訳じゃないが、オヤジも対応しますのようなこの題材のこなし方は確かに才能あるなと思った。
しかも私好みの歴史改変もので、オリジナリティの工夫もある。見直したよ。恩田陸。呼びすてだが高校の先輩だ。
タイトルを読んで、ミノタウロスの怪物が出てくるファンタジーの世界かと思いきや、ロシア革命の頃のリアルな世界の話だった。いや、悪に染まった主人公が「怪物」、人ならぬ怪物、退治されるべき怪物ということか。こいつはかなり悪い奴なのだが、それでもずっと主人公目線で語られると、自分がそんな怪物になった気がしてくるから怖い。淡々としてすごい悪辣な行為が描いてるので、更に怖さ倍増。
外電の百器徒然袋もそうだが、こちらも京極氏のユーモアセンスが光る。ユーモアというよりスラップスティックか。ちなみに「探偵小説」と銘うってはいないが、なんらかの形で主人公の二人は事件(らしきもの)に巻きこまれる。京極堂がゲスト出演しているが、一方「塗仏の宴」には多々良・沼上コンビが登場しており、物語世界がクロスオーバーしている。
読了。結果には満足してます。「ロートレック荘事件」以来の完勝といっていいです。
下巻の途中(第二十二章)までのメモ。ネタバレ満載注意。
例の時間については、下巻に入るとヒント満載。まず、曜日の問題で第十七章34pの玄児の科白、「日が変わって二十六日、金曜日」とある。孝明の時間である、1991年9月23日は月曜日、3日後の26日は木曜日のはずである。したがって両者(中也の23日と孝明の23日)は別の年であることはもう明らか。では何年か?ということになる。そこで次のヒント。第二十二章247p「『吸血鬼ドラキュラ』。この夏に観た英国のあの怪奇映画の題名を...」
「吸血鬼ドラキュラ」というタイトルの映画が公開されたのは1958年。この日の9月26日は金曜日だ。その他の傍証としては、フルシチョフの平和共存路線が1956年で、その後、中ソが対立。第二次中東戦争は1956年。蛇足だが、玄児が連発する「探偵小説」という用語も古い。今なら「推理小説」だろうね。
ちょっとそれ以外の謎にも目を向けていたいが。中也が気付いた「隠し通路を使わなかった理由」は、いくつかのパターンが考えられる。その1、子供にはスイッチが手が届かない。その2、目の悪い者(柳一郎)には扉が押せない。等等。
もう一つの謎。鬼丸老。不死を目指す一族「浦登家」に使えてきた、齢百に達しようという老人。彼もまた、不死への挑戦と関連があるのでは(浦登一族?)ちなみに彼はダリアに心酔しており、玄遥を殺害する動機は十分そうだ。
それと、18年前に一度死んで「生き返った」玄児。「生まれ変わった」のではなく、「すり替わった」のでは?前後で記憶が断絶しているのだから。例えば、同じぐらいの年齢である、使用人の息子「忠教」はどうだ?もしくは塔から落ちた青年「江南(※孝明ではない)」。彼もあやしい。
左手に「聖痕」の話が出てきたが、玄児、中也、江南青年、江南孝明がみな、今回左手を負傷しているのは、何かの符合か?
上巻まで読み終わった。このメモもネタバレ全開なのでよろしゅう。
上巻の終わりの方で、視点その2の中也が謎の整理をしてくれている。それだけでも残された謎は満載(前回挙げた他に)なのだが、それはひとまず置いておいて、それ以外の謎を追ってみよう。
まず、前回の時間差の疑いだが、強力な裏付けになる記述が第十一章の148p(新書版)に。(B)(中也の視点)の「昨今の国際情勢」で、ソ連の平和共存路線と中ソ対立の深刻化、中東諸国の気懸かりな動勢」とある。まず、ソ連だが、この年(1991年)の12月にソ連は崩壊してるので、存在自体の記述は(A)(つまり江南孝明の現在)にもあてはまる。しかし、「中ソ対立」とは?ソ連の存在自体が危ぶまれてる時に、「中ソ対立」が昨今の国際情勢はないだろう。どちらかといえば、1960~70年代の方がしっくりくる。「ソ連の平和共存路線」もそう。これはフルシチョフあたりのことで、同じく60年代。続いて「中東の気懸かり」といえば...第三次中東戦争が起きたのが1967年。どうもこの辺があやしい。いずれにせよ(A)(B)間に時間のギャップが存在するのは間違いはなさそう。
もう一つ、気になるのが文中の括弧でくくられたモノローグのような言葉の断片。これは誰の言葉か?本文中では語られていないのに、このモノローグ中にのみ出現する固有名詞がある。(中村)青司」とか、「(江南)孝明」とか。これは、実は中也(過去)の視点の背後にある孝明(現在)の視点か?それともよりメタな「読者」の視点か?
暗黒館の殺人上下巻の上巻を途中(第七章)まで読んだ段階でのメモ。どうもこの話、多くの登場人物が記憶を喪失して、名前その他が曖昧になっており、叙述トリックくさい。叙述トリックというのは、小説の構成そのものを使って、読者を騙すことを主眼としたトリック、ないしミステリと言えばいいか。実は男と思わせるような記述をしておいて、実は女だったり、連続した時間に起きていると思わせて、そうでなかったり。「黒猫館」ではいろいろ手がかりが残っていたこともあり、メモをとりながら進めることにする。記憶といえば最近読んだのでは京極夏彦の「塗仏の宴」が浮かぶが、あんな裏技もの(褒め言葉)とは違い、一応ミステリ風に読めばいいっぽい。ただ、「視点の移動」ということが文中で明記されていて、そを信用してよいものやら。ややインチキくさい(褒め言葉)匂いがする。ちなみに、新書版のカバーデザイン、京極夏彦がてがけているらしい。へー。しかも、「図版作成:小野不由美」とあるけど、これもあの小野不由美だよねえ。
では、現時点でのメモ。私の推理が当たってしまった場合、未読の人はネタバレになってしまうので注意、
ちゃんとミステリーしてる。
トリックは昔の本格だったらちょっとギリギリセーフ的にアクロバティックだが、よく読むと謎を解く手がかりは本文中の随所に見られるし、謎解きが目的で読む人にはよいだろう。
この人のを読むのは「十角館の殺人」以来だが、ずっと同じシリーズで続いてんだ。
風を先に読んでしまったが、こっちの方が前の話だったらしい。ほとんど関係はないが、1つだけ。
この物語で語り手の名前は最後に明かされることになっている。言わばそれがオチになっているのだが、「風」を読んでしまった私はそれを知ってしまっていた。
それにしても、話の面白さというか、可笑しさは絶好調。以外とこっちの傾向もありかもな。
真面目な京極堂シリーズにも飽きかけた頃だが、こっちの榎木津シリーズで回復。面白い。京極にユーモアのセンスがあるとは思わなかった。ボケとツッコミの応酬のよう。それでこれはまさに「探偵小説」ですな。勧善懲悪、悪役がやや類型的なのもご愛敬。で、ハチャメチャやりながらしっかりヒーローの榎さん。息抜きにはいいね。
中原昌也は、「嫌オタク論」の対談本は読んだことあるが、小説は初めて。
凄いわこの人。まず最初の「舞台動物」。舞台に動物が出てくるという変さ。その変さをいかにして読み手に伝えるかに注力した一編。次の「怪力の文芸編集者」。途中で目を離した私は、どこまで読み進めたか分からなくなった。なんていうか、同じメロのリフレイン?クラシック音楽?微妙にアレンジを加えていったり。次のタイトルも凄い「ブン殴って犯すぞ!」「誰が見ても人でなし」。落ちのないようなないような。しかも途中でどんどん視点が変わっていったり。「あ、そっちが主題?」という落とし方。お笑いみたい。本人は見ないらしいけど。
今、Amazonのランキングで見たら、この本80位だって。売れてるんだな。「ジェネラル・ルージュ」も映画になるそうだし。ってまた、田口は竹内結子かよ。そして、ナイチンゲールの沈黙はやっぱりスルーか。
それはともかく、螺鈿迷宮。「チーム・バチスタ」では話題にのぼるだけだった氷姫こと姫宮のドジっぷり(どこまでが演技でどこまでが本気なのか)が十分に堪能できる。ストーリーも、「ナイチンゲール」などよりはよほどミステリっぽい。謎解きもあるしね。主人公が若いので少々青臭いが。伊藤淳史ならこっちの方が似合ったかもな。
今回は犯人ばかりでなく、物語の鍵となっているトリック(というか謎)、全部冒頭で予想した通り。だから、読んでいて驚きがまったくない。これはさすがに辛いな。ちまたの評判でも「分かってしまった」人多数なので、ちょっとサービスし過ぎたのでしょう。ちょっと、京極からは一旦離れようかな...
「宴の支度」と「宴の始末」の二部構成。
今回は、関口が大変なことになってます。なってる割にあまり登場にしないので、読者はやきもき。それで、この長い(分厚い文庫でも2冊、分冊版だと6冊)本も一気に読みきってしまう。
それに、今回は過去の登場人物が多数登場。しかもその1人が命を落とすことに...
今回は「催眠」がテーマ。なんというか、この本を本格推理小説として位置づけるなら、これは「掟破り中の掟破り」でしかないだろう。しかし、その確信犯的な強引さこそが作者のもち味だと、最近は分かってきた。それでまたその多数の登場人物、多数の妖怪、入りくんだ構図、よくもまあまとめきった。偉い、というか、凄い。一作ごとに、新たな境地に達しているようで、感心しきり。
軟着陸?
この小説は、隠された真犯人(=蜘蛛)がいるのです。その蜘蛛と京極堂の会話のシーンがあるのですが、それをヒントに、真犯人を予想してみました。ずーっっと最後まで読んで、謎が明かされ、最終的に私の予想は当たっていたのですが、それがなんというか、いろいろ示唆するだけで終わっていて。本文中にある通り、「皆まで言うな」ってことなんですが、ちゃんと把握するためにはもう一回読み直す必要がありそう...というか、旅行中に読了した分冊は捨ててきてしまったよ...
あと、この話では関口は珍しく最後にしか登場しない。
メインの「ジェネラル・ルージュ」こと速水部長がカッコよすぎることを除けば、前作「ナイチンゲールの沈黙」よりはいい。田口、白鳥もそれなりに活躍してるし。あと、私にとっては氷姫こと姫宮が初見(他の作品で既出らしいが)。ああこんなキャラかって感じ。
しかし、このシリーズってしかも、あんまりミステリじゃないのよね既に。いや、いいんですけど。
前回みたいな馬鹿馬鹿しいのが半分ぐらいになってるけど...これは、路線転換!?なんだかもったいないなあ。もっと新宿三丁目とか六とんみたいのを書いてほしいなあ。
とばしてしまった3作目、4作目のすぐ後に読む。幸いにも大した影響はなかったのだが。
京極夏彦、この人の謎って、大筋としてはなんとなく予想はできるんだけど、細部がアクロバティック。なんでこんなん思いつけるん。すごいわー。今回は、夢がテーマなのだが、どこからが夢でどこからが実際の記憶なのか、混沌としているところが鍵なのだが、その使い方が実にうまい。
しまったあ~3作目「狂骨の夢」を読む前に、うっかり本作を先に読んでしまった。でもネタバレっぽいのはなかったよ。
この作品は「魍魎の匣」とはまた違った意味で、凄い。ベースは横溝正史のあの作品とかエラリー・クイーンのあの作品とかと似通っているが、特筆すべきはその細部。小説には山ほど禅宗のうんちくが出てくるのだが、そのそれぞれがきちんとトリックというか謎の部品にはまっている。寺だけに殺されるのはじじい(坊さん)ばかり、女っけほとんどなしの内容で、難しい仏教の話ばかり。こんな本を、よくまあこれだけのエンターテイメント性あふれる作品に仕上げたものだ。その手際には拍手を送るほかない。
なんか、そう読めますよね~
大変なことになってしまった。
図書館から借りた本をなくしてしまった。なくしてしまったらどうするか、みなさん知ってますか。弁償するんですよ。私も知らなかったけど。
で、弁償する本です。
この話は、「河内十人斬り」などで有名な、自分の妻を含め十人を殺害した熊太郎という男が主人公。これだけ聞くと、なんて悪い奴なんだと思うでしょう。ところがさにあらず、読んでみると熊太郎はなんて可哀想なんだと思う。そんな作りになっている。まあフィクションはフィクションなんだけど、一つは徹頭徹尾、主人公視点で、主人公の心理描写込みで描かれていること、ありえないくらいに不幸がふりかかること、それがたぶん主人公の「思弁的である故に周囲とコミュニケーションがとれない」という構造。それをまたいらしいほど丁寧に追っていくんだ。この辺は見事。
幼い頃の姉が殺された夜の記憶を封印した作家が、それによく似た過去の殺人事件を追ううち、最終的には記憶をとりもどす話。けだし封印というのは解いてしまうとろくなことにならないと相場が決まっている。その結末は...読んでしまうと、得心のいくもの。
それよりも、捜査線上に浮かぶ雑多な登場人物たちの正奇が錯綜する展開、そして冒頭に代表される都市の情景と、それに寄りそい、入り混じる小説の登場人物の描写が見事。そしてそれは、物語の暗示でもある。
途中から明らかに犯人が分かってしまうことを考えると、ミステリとしてはあまり楽しめないかもしれない。ただ、サスペンスとしては、なかなか読ませるし、結末も悪くない。情景描写がこの人は巧みだ。少ない言葉や科白で登場人物の内心や、奥に潜むものへの想像をかきたてられる。
最初は激甘な本かと思った。が、実はそれほどでもなかった。
でも、死神という目で一見つき放してるように見えて、実はその目はあたたかい人間のまなざし、ってのはちょっとやらしい。偏見を恐れずに言えば、いかにも女子が好きそうな話って感じ。最後につながる登場人物とか、よくできているのは認めよう。うまい。が、めちゃめちゃ好きにはなれない自分がいる。けど、いつかまたこの作家の本は読んでしまう気がする。
舞台は、V2ロケットの攻撃第二次対戦末期のイギリス。表紙に書かれたあらすじによれば、アメリカ兵の主人公スロースロップが女の子とセックスした先ざきに、そのV2ロケットが落ちるという。その謎を追う人々とスロースロップの出生の秘密が徐々にあきらかに...あらすじで書くと簡単そうに見えるが、どうして本の中身はそんな単純ではない。まず、ターゲットになる人物がめまぐるしく変わる。最初は「海賊」プレンティス、続いてブロート、ロジャーとジェシカ、ポインツマン、スロースロップといった具合。しかもその変え方が曖昧。主語も場所もはっきりしないので、読み進めてから「あれ?」と思ってまた読み返す。その繰り返し。非常に疲れるので、一気に読めない。
ただ、本の中で語られるアイテムや人物は独特の面白さ。まるでがらくた・ワンダーランド。本屋で拾い読みしていったものを一つの物語につなげた、という方が正確か。
I巻終わったのだが、この先の展開はまったく見えない。興味はあるのだが、ちょっと休みたいのと、どうやら図書館にはIIが置いてないみたいで...
ここ2ヶ月以上、本の感想エントリが途絶えていたの、お気付きでしょうか?
その原因はこれだあ~!
500pの本を読みおえるのに2ヶ月...しかもこれ、1巻で(II)があるんだってさ。
その読み進みが遅い原因は...何しろ難解!
主語がしばしば抜けたり「女」としか書いてなくてわからなかったり、そのくせ話が途中で脱線したりいきなりとんだり...
面白いのは面白いんだけどね。
今はやっと解放された気分。
内容については、後程。
前作、「チーム・バチスタの栄光」に比べると、導入からしばらくは、事件らしい事件も起きず、少々もどかしい展開。やはり、白鳥のようなキャラが登場しないときつい。しかし、やはりそれは切り札だけあって(ネタバレすると)途中登場なのだろう。白鳥が登場の瞬間ははやり(やった!)という気にさせてくれ、その後は比較的安心して読める。が、謎の方が前作に比べると、やや薄い感じ。例えていうと、「ナイルに死す」みたいな、なんとなく分かっちゃうという。
ということで、楽しめはしたが、評価としてはバチスタの方が上か。
新聞の連載小説にはまることはほとんどない。こま切れでは魅力は伝わりにくいし、見逃してしまったらそれで終わりになってしまう。そんな不利な状況でも、私を虜にしたのがこの小説。題材はとても現代的。偽装請負、ネット自殺、DV、フリーター、基地問題、同性愛等々。盛り込みすぎではないかと思われるほど貪欲にとりこんでいるが、それに不思議と不自然さは感じられず、むしろその問題が切り出す登場人物たちの痛みや叫びがダイレクトに伝わってくる。最後に主人公がとる「ある行動」が、その意味を考えると、「無意味」なのだが、それがせつない。
これは、二人の姉妹の物語です。その姉妹は、身長186cm。しかも1人はひきこもり、もう1人は全身に○○○○の○○。そんな二人が、町を救う話なのです。何が起きて、どうやって救うのかは、途中で分かっちゃうので、それが主眼ではありません。それよりも、姉妹を筆頭に、両親、父の切手泥棒を告げ口する現市長、祖父、仕立屋のおばはん、先生、いじめっ子の女の子、姉妹にストーキングされる気弱な少年、ボーイフレンド、母の愛人等々、本に登場する、どこか変なけど、愛すべきキャラクター、そしてその人生の数々を堪能せよ!
いやー面白い。話は現代の沖縄を舞台にしたファンタジー?なのかな。ライトノベルとか読んだことないけど、キャラクターがなんかアニメっぽい。類型的というか、なんかマンガで書けそう?ちょっと違うのは、過剰過ぎて突き抜けているのと、沖縄的ガジェットがふんだんに盛りこまれているので、それほど嫌に感じない。
ところで、私の周りにマンガっぽい人がいる(本人もよくそう言われると言っていた)。美人、コスプレ好き、女王様タイプ、でありながらいじられキャラ、悪戯好き、ナルシスト...。この小説の登場人物の1人が、その人になんかかぶるのだ。といってもそのキャラ、登場場面がボトムレス(下半身なにも穿いてない)という真性変態なので、その人と比べるとさすがに怒られるだろうなあ。オフレコでお願いします。
「姑獲鳥の夏」で京極ワールドにはまったものの、しばらくは他の本にかまけて読めず、ようやく2作め。ここでも、京極ワールド炸裂。謎自体はたいしたことないのだが、あり余る蘊蓄と、ホームズ・ワトソンのやりとりだけで十分楽しめる。その蘊蓄も厭味ではなく、ちゃんと物語上意味があるものだ。福来博士の超能力実験は、「リング」や「トリック」でもとりあげられたので、やや使い古し感が漂ってるが、ここで構築している世界観はそれだけに留まらない重厚なものなので、さほど気にはならない。ぶ厚い本の半分ぐらいで早くも犯人が明らかになったのには少々驚いたが。
陋巷にあり全13巻、ようやく読了。他の本を読みながらだから、ずいぶん時間がかかってしまった。
読み進めてまず驚いたのは、エロい!儒教の孔子の話ですよ。そこに、「眉」という男を誘惑する巫術を使う「眉女」が現れ、孔子の弟子達を次々と毒牙へ。その描写が、下手な官能小説(って知らんけど)より俄然エロい。その眉女であるところの子蓉が、冥界で主人公の顔回と記憶、精神を共有するシーンに至っては、エロさが昇華して、何か凄いものを読まさタ感がある。
その、冥界(黄泉)のあたりをはじめ、どれだけ調べたのかと感心させるあふれんばかりの蘊蓄。その蘊蓄はただの知識にとどまらるのではなく、物語を支えるバックグラウンドとしてしっかりと役だっている。その蘊蓄のおかげだけでないストーリー運びのうまさ、活き活きしたキャラクター、...「大衆小説」と名付けてもいいだろうが、その一つの頂点に立ったといっても過言ではないだろう。
方々で絶賛されているので読んでみた。
結論としたは、私も絶賛する。が、その前にいろいろ前置き的話を。
この話のテーマは、AIと人間の関係という古いテーマ。そこに新しい観点から考察を加えており、その内容自体も評価に値するが、裏のテーマとはもう一つ、「フィクションの力」ということだろう。
私は山本氏の小説はほとんど読んだことがなく、主にトンデモ研究家としての彼しか知らない。そこにいる山本氏は、ゲームやコミックなど、フィクションがなにか事件が起きるとすぐ悪者にされてしまうことに反発してきた。この小説はそんなフィクションに不当な扱いをする世間に対する回答なのだ。この小説はAIのアイビスが主人公に7つの「フィクション」を語って聞かせるという構成になっている(読んでから奥付を見て知ったのだが、これらはすべてバラバラに発表された短編なのだ。それも驚き).アイビスは「これはフィクション」と宣言してしまい、しかし、語ることによりその力を、正しさを示す。特にそれが顕著なのが、1話めの「宇宙をぼくの手の上に」だ。この話はいきなり訳のわからない単語の羅列かは始まる。最初読者は「何これ」と引くのだが、徐々にその構造が見えてくるにつれて、感動を呼ぶ構造になっている。これは見事としか言いようがない。
さっき訳が分からないと言ったが、構成も語り口も非常に分かりやすく出来ている。山本氏はかつて(ジーン・ウルフのような?)分かりにくいSFを否定し、分かりやすいSFを持ち上げる本を出したことがある。そのような氏の姿勢をこの小説も如実に反映している。もう少しケレン味があってもいいくらいだ。
もうひとつ、山本氏といえば「オタク」だ。この小説にもオタク的ガジェットが多数登場する。しかし、一歩引いた目からオタクガジェットを扱うことで、一般の人にも受けいれやすい内容になっている。
(案外、これが氏のワナなのかも)。
いやー、いい本だった、今年の読書の中では最高点をあげてもいい。
アシモフ亡き後のファウンデーション三部作の棹尾を飾る一作。三部作のまとめとしてだけでなく、ファウンデーションのエッセンス、ロボット第零法則を巡る疑問などをうまくまめきった。それに加え、話が面白い!基本的にセルダン、ドース、ロドヴィクなど複数視点の話が同時進行していくのだが、いいところでうまく場面を切り替え、興味をそらせないようにしている。ベアよりもこの辺はうまいかも。
掟破りの作家清涼院流水による、、またまた掟破りの作品。
何がって、まずは、奇術のネタを次から次へ明かしてしまうことが掟破り。しかも作中で、「奇術師以外にネタをばらすのはよくない」と言いつつ、登場人物を奇術師に転向させた上で、その後はネタ明かしのし放題。
第二の掟破りはその構成。文庫化して1巻は、「事件」と言いつつ事件はほとんど起こらず、奇術ショーの奇術の様子が最初から最後まで延々と描写されるだけ。しかも、2巻ではそのダイジェスト版でご丁寧にももう一度読者は体験させられる。何も知らずに買ってしまった読者のかなりの数が、途中で脱落してるとみた。読者を選ぶとは、つくづく罪な作家だね。
本作にも、ちょっと面白いというか、おかしい場面はある。「もう語るのはやめた」「お続け下さい」「誰だ?」「○○です」の繰り返しとか。しかし笑える度合で言うと、「第三の警官」の方が上かな。
ただ、本作は物語のネストの仕方が凄い。まず、作者が買いている中に小説を書く学生が登場し、その学生が書く小説の主人公が、また小説家。その中の小説の登場人物は...というようにネストしていき、しかもその複数の物語が同時進行するものだから、読者は混乱必至。何度も読み返させられる羽目になる。それでもそのこんがらかり具合が癖になる。
1940年代の作品です。しかし古さはそれほど感じさせない。
この作品は、まるでコントのようです。主人公が会った「No」しか言わない老人やら、自転車の盗難しか頭にない警察官やら、箱の中の箱の中の箱...やら。ダウンタウンやモンティパイソンっぽい、不条理な笑い。別に笑いを求めた訳ではないんだろうな。最後には思いもよらない結末が待ってるし。悪夢みたいなんだけど、それでもちょっと笑ってしまった。
(新品はないと思うので、読みたければ図書館で探して下さい)
ある女性の葬式から物語が始まる。その女性の男友達だった2人の視点が交互に語られる。どうしようもない現実に生きる男と、理想を追いつつも現実の足枷に引きもどされる男。淡々と話は進んでいくのだが、なぜか引きこまれる魅力を持っている。最後の結末はまるでマジックみたい。
フェンス職人がフェンスを作るという、ただそれだけの話なんですが、いやー、その中にも物語はある。小さいのから、大きいのから。大きい方はとてつもなくでかい出来事なのだが、それをさらっと流してしまうところが面白い~。
著者の来歴を読むと、「元フェンス職人」とある。なるほど、フェンス作りの描写がリアルな訳だ。続いて、「現在は郵便配達人の仕事を得ている」なんか凄いな。
まず最初にひとこと。
終わってないじゃんよ!
4部作の第1部なんて、知らないで読まされた私はどーなるの。
...ま、それはさておき、ファンタジーとしては話がかなりダークな部類に入る(指輪よりも更にダーク)ので、私はわりと好きだ。更によいのは、作者のクライヴ・バーカーの挿絵がふんだんに盛り込まれていること。この絵がGJ。もともとは絵が先にあって、後から物語ができたんだそうだ。
第1巻の後書きを読むと、「ディズニー映画化」なんて書いてあったりするが、そんな話はとんと聞かない。どうやら企画段階で止まっているらしい。指輪→ナルニア→ライラの冒険ときたから、今度こそ便乗で始動か?
アシモフ死後に書かれたファウンデーション3部作の第2部。なぜ第1部から読まないのか?作者が「ブラッド・ミュージック」のグレッグ・ベアだったのと、ロボット狩りと第二ファウンデーション候補者という設定が面白そうだったので。
結論から言うと、面白かった。反ロボットの人間とロボットと精神感応者達、ロボット内の対立構造、そういった構図とキャラクターが活きていて最後まで飽きさせない。他の2冊も読んでみようかな。しかし最近のファウンデーションはセルダン存命中のものばかりで、ファウンデーション中興の時代のものも読んでみたいな。
表題作と、「クレーターのほとりで」の2編収録。
表題作の方は、妙にディテールを追及する日常的描写が、7月4日と7日の間の日付を延々と循環する日記という構成になっている。リアルとメルヘン。リアルな中に、主人公が新聞を盗む、突然青森まで電車で行ってしまうという現実離れした話や設定が挿入されている。
終わり方もストーリー的にはオチのない終わり方で、これはこれでよい。
「クレーターのほとりで」の方は、なんとなくどこかで聞いたような話。突然未来に時間がスリップするところがちょっと面白い。
20億年分の未来史を1冊だ書ききる想像力、構成力。1930年頃に書かれたにもかかわらず、まったく古さを感じさせない。むしろ、その人類の未来の進化は「そうかも」と思わせるものがある。見事。
琥珀、深紅、翡翠...脳裏に浮かぶ色彩が鮮やかな一編。前半の和歌の使い方もうまいし、前半の実朝、後半の宋の皇帝という人物の配し方も安徳の悲しみと共鳴し、心に響いてくる。
例の、雪印乳業事件を題材にした、内部監査、内部告発、内部処分、勧善懲悪もの。
「雲印」というミもフタもないネーミングや、そのまんまの不祥事は笑えた。その勇気は評価したい。こういうのは絶対、映像化はされないだろうから。
ジョン・ランプリエールが実在の人物とは、読み終えるまで知らなかった。これ意外にも近世の実在の人物が多数登場し、繰り広げられるサスペンス・ミステリー?冒頭のジャージーの退屈な部分を通りこせば、長くとも少しも飽きさせない緊張、ドキドキの場面が連続。しかし一気に読み終えるには長いが。
一気に読んじゃう編
これはイヌ、イヌ達が主人公の物語です。かなりアツいです。
古川日出男は読むの3作目だけど、毎回作風が異なっている。そしてどれも面白い。なかなか凄いことだと思う。
「蛇にピアス」で綿矢りさと芥川ダブル受賞の金原ひとみの本。受賞作は読んでなかったりするのだが、こっちの方が面白いと大森望が言ってたので読んでみた。
うん。確かに、爆発的な笑いではないけど、ニヤニヤしながら読める本かな。錯乱した文=錯文?をところどころ混ぜてるし、会話のやりとりがすっとぼけていてよい。しかし生理的には結構エグいことを書いてるんだが、乾いた文なのであまりそうは感じさせない。わりと好きかも。
「オーデュボンの祈り」ではあまりいい印象ではなかった伊坂幸太郎。この「チルドレン」では、違った面を見せてくれた。おもろいやん。笑いが描けるやん、この作家。とにかく登場人物の「陣内」というやつの言動が笑かしてくれる。「愛すべき」というのはそうかもしれないな。この本は「癒やされる本」という評でなんとなく敬遠してたが(確かにそういう面もあるかもしれないが)私には、「陣内で読ませてくれる物語」かな。公園で、何時間も面子が替わらないからといって、「俺達の周りの時間が止まった」とか言いだすんぞ。しかし、面子が替わらないのには訳が…
「最後から2行め」で大ドンデン返しというふれこみらしい。
紙葉の家の合間に、恋愛小説みたいなノリでさらっと読んでしまった。さらっと読んでしまってはいけなかったかもしれない。方々に時代背景(80年代後半)のアイテムがヒントとして供出されており、それを検証したら謎が自然と解ける、ことを作者は期待していたかもしれない。でもまあいいじゃない、とりあえず騙されたから。上のふれこみがなかったら、読みとばしてたかも。さすがに1回読んだ後では、仕組みがすぐ分かったけど。
図書館で借りて、1ヶ月近くでやっと読了。
一言で言ってしまうと、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」。ある家にまつわる怪奇現象。現われない恐怖の正体。それを撮影したビデオ、について老人がまとめた記録、をかきあつめて註釈を加えた別の人物、更にそれに註釈を加える編集者、という多層構造で、とにかくものすごい本文の量だけでなく、註釈も老人のもの、註釈者のもの、編集者のものと3種類(字体で区別されている)。しかも註釈者が本論を離れ、自分の物語を語りはじめ暴走。それにつられてか本文も暴走。縦横無尽というか、天地無用というか、読者は様々な角度から本と格闘(右から左から、縦から横から、上から下から、はては裏から)するはめになる。知的興奮と体力と忍耐力を呼びさます1冊。
最近、図書館に登録した。今まで手を出しかねていたハードカバーの本がたくさん読み放題!天国みたいな環境だ。
で、この本、まだ読み始めたばっかなんだけど、これがめちゃ面白い。ストーリーとしては大河ドラマみたいなんだが、妖術あり、策謀ありの何でもてんこ盛り。しかもそのストーリーを支える孔子や顔回や儒やらにまつわるトリビア、トリビアが癖になる。
ところで、skkは「ろうこう」を一発変換した。すごいな。
最近、週間金曜日やOhmyNewsなどで連載している烏賀陽弘道氏のコラムが面白い。他の人にはない独特の視点を持っている。この「Jポップとは何か」もそうだ。Jポップっているジャンルって、意識したことある?昔は存在しなかった。私が子供の頃は、「フォーク」「ニューミュージック」「歌謡曲」なんていうジャンルしかなかったのだ。Jポップはある時点から突然生まれたもの、しかも本書によれば、人工的に作られたものだということが分かる。確かに言われてみれば、よくわからないカテゴリだもんだ。Jポップとロックやヒップホップとの違いは何?って聞いても、明確に答えられる人はいないだろう。
烏賀陽氏のすごいところは、自説を裏付けるために必要なデータを用意し、論理だてて説明していくところ。どっかの新聞記者にも見習ってほしいね。
この烏賀陽氏ってオリコンに訴えられてんだね。それがまた…
事実関係の是非以前に、こういう変な訴え方ってないだろ…>オリコン
あ、ちなみにこの本は、別にオリコン批判でもなんでもなく、Jポップというものの存在から背後にある社会構造までうぐりだすという、離れ業のようなことをやっている名著です。おすすめ。
最初は、医療ミステリ?の話ということで、正直あまり期待していなかった。読み始めてみると、期待を裏切る面白さ。
主人公がすごいんだかすごくないんだよくわからない奴なので、聞きとりで何かが明らかになっているのあきないのか、それでも感じる違和感。少しずつ剥げおちていくチーム・バチスタの真相。ここまででも十分面白いのに、後半から投入される厚労省役人・白鳥のキャラクターがその面白さを急加速させる。そして、すべての可能性が否定されたと思われた時、一つの真実が浮かびあがってくる…
いやあー、よかったです。でもこれ映画化?竹内結子って誰役?まさか田口?白鳥じゃないよねえ。
一言で表現すると、よくできた2時間推理ドラマみたいな感じか。それなりの意外な展開をちりばめ、最後まで飽きさせない。ただ、キャラクター造形は悪くないのだが、話し言葉がまるで海外ミステリの翻訳物みたいに古臭いのはややマイナスポイント。女主人公が「~ですわ」とか話すんですよ。
読者が興味のない分野の話を読ませてしまう小説が一番凄い小説だと思う。例えば、私がサッカーが題材の小説を面白く読む、それは、ある意味当然だ。で、私は、ザイール、キリスト教、ピグミーチンパンジーなどに興味がない。こういった題材を使って、そんな私を小説世界にぐいぐい引きこんでしまう古川日出男のストーリーテラーとしての能力は凄い。
しかも、その文体が、寓話チックに語られる「アラビアの夜の種族」などとはまったく違うのにも驚く。その魅力の原動力とは、、人を納得させずにはいられないディテールにこだわった、論理的な枠組みだ。ローミが別人格を獲得するに至った経緯、アッテンボロー師がローミを「マリア」として扱うに至った経緯、デイビッドやアルフォンソの行動原理など。
私はこの話(歩行大会)の題材になった、高校の出身である。そんな訳で、同じ高校出身の人に貸してもらったのだが…
だめだこりゃ。歩行大会というか、歩く会の話ははしばし面白かったが(自分はこのコース、走ってないような気がするが…)、それ以外の会話や、心情の内面描写がダメ。もう途中から一気読み。ベタというかひねりながいというか、ストレートすぎ?若すぎ?こういう芸風だとしたら、恩田陸、私には合わないかな?
トンデモも最近パワー落ちたかなあ、と思いつつまた買ってしまった。
ひっさびさの大ヒットネタ発見。『ガンダムで英語を身につける本』。モビルスーツ同士の会話がおかしい。エルメス暴行事件には落ちもついていて、ここは山本氏見事。
あと、無神論者な私だが、ボビー・ヘンダーソンのスパモン教、ぜひ入信したいなあ。
Church of the Flying Spaghetti Monster
ところで、この表紙のポーズは何?と思ったが、「U」FOね。ピンクレディー。
「幻夜」ショックもまだ薄らがない今日この頃、読む本が尽きたので借りっぱなしの「手紙」を読むことにしました。
書きだしはかなり興味引かれる内容だったのだが、本の中頃からややうんざりしてきて、途中からとばし気味に読んでしまった。その感情の正体はよくわからなかったのだが、最後まで読んでみて、なんとなく分かった気が。
一つは、結末近くで主人公のとった行動に納得いかなかったことだが、もう一つは、物語があまりにも「作られ」すぎていることだ。小説なのだから何を当たり前のことを、と言われる向きもあろうが、この小説の場合、結末の行動に向けるためにすべての筋、人物が動いていく。その透けかげんが「うんざり」の正体だったようだ。
これが短編や寓話ならば、こういう作意は自然に受け入れられるべきものなのだろうが、やや長めの中編であることで、「しつこさ」がにじみ出てしまっている。もっと言ってしまうと、主人公の周囲を固める脇役たちの存在感が見えてこないのだ。宮部みゆき「理由」などと比べてしまうのは酷かもしれないが、東野氏の別の作品「白夜行」に比べても弱い。
最後まで読んで、「これが言いたかったがための小説」ということは納得したが、それ以上のものは残念ながらあまり残らなかった。
映画「プレステージ」の原作。映画は、以前ウィーンに行く飛行機でちらっと見た。が、。飛行機の中ってこういうこ難しい話は頭に入らない(ブラック・ダリアもそう)。「カーズ」みたいなお喜楽なのがいい。ところで、原題は"Prestige"なのに、「プレステージ」ってのはどうなのよ。「パーテー」っていってるおやじみたいなネーミング。
それはさておき、じっくり読んだので読むのに2週間かかった。感想を一言で言うと、「そういう展開とは思わなかった」。
多少、肩すかしをくった感じです。ラストのシーンはなかなかよいが。
以下、ネタバレです
こっちはミステリかと思ってミステリモードで読んでいたのに、途中から「あれれれ、そっち?」て感じなのです。テスラが出てきたあたりで警戒すべきだたのだが。
あとボーデンパートの謎は、冒頭にいやというほど仄めかしがあるので、非常にわかりやすいのだが。「自分に双子がいる」+「瞬間移動」「必要なことを話さないことで」とくれば、誰でもトリックは双子で、それを日常生活においても隠しとおしているものだと推察。あまりに露骨なのでミスディレクションかと思ったらそれはそのまんまだった。
オーデュボンというのは実在する人物の名前で、絶滅したリョコウバトという鳥に関連づけられて覚えられている。
小説のテーマとして、この話を持ってくるのはなかなかよいと思った。しゃべるカカシや悪人を私刑にする人間など、孤島に様々な人間の設定もバラエティに富んでいる。ただ、全体としては読むのに非常に時間がかかった。理由は詳細にはわからないのだが、モチベーションを強烈にドライブするものがないからかな?登場人物の中の誰にフォーカスすればいいのかわからないせいかもしれない。ちょっと気になったのは、現実の世界であるはずの仙台側の人間設定に妙に現実味がないこと。静香もそうだが、特に城山。すごい悪い奴なのだが、あまりにベタすぎてリアリティに欠ける。意図してるのかもしれないが、なんかそれが気持ち悪かった。
えー、「幻夜」の結末が大変残念なことになりましたため、借りている「手紙」はペンディングし、伊坂幸太郎「オーギュボンの祈り」を先に読むこととなりました。
以上ご報告まで。
五賢帝の時代も終わり、ローマはいよいよ衰退期へ?作者はコモドゥス帝より五賢帝最後のマルクス・アウレリウス時代にその徴候があったと見るが、それにしてもそれが今まで数多くあったローマの浮沈と何が決定的に違うのか、あまり語られていないのでこの時点ではまだわからない。批判されるこのの多いコモドゥス帝にもいい点はあったとして挙げつつ、「しかし、私が擁護できるのはここまで」という言いきりが面白かった。
私は、二番煎じというものが大嫌いである。同じようなキャラクターによる、同じような展開の物語。そんなものは読みたくないと思う。
ここまで書いてしまったら大体の察しはつくと思う。ハラ君に勧められて読み始めた「白夜行」の続編と呼ばれる「幻夜」だが、3分の1にも満たない100ページ程度でもう、飽きてしまった。何も新味ないよ、これ。もし作者が、美冬だかなんだがの怪物性だけで物語を引っぱっていけると思ってるなら、それは大きな間違いだ。残念ながら私にとっては、こいつはそこまでの魅力はない。けっこう嫌な奴だが、白夜行は語りの見事さであのラストも私は許した。が、宣言しておくが、それは二度とはない。「幻夜」においては、先の主人公を際だたせるための周囲の人間の描写が、白夜行に比べるとやや雑である。、例えば、青江というキャラクター。いくらなんでも、「かわいい子が以前は好みだったが、大人の女が好きになった」という表現だけで片付けてしまうのはあんまりだろう。
展開が読めすぎる(特に、白夜行を読んだ読者にとっては)も問題。あるキャラなどは、ガンダムになぞらえて言えば「フラグが立って」しまっているのだ。おそらく、ラストでこのキャラが死ぬのはほぼ間違いないだろう。
しかし、私は一度読みだしたものはめったなことがない限り途中で投げだすことはない。しかし、読む以上は、それなりの代償も払ってもらう。上でも宣言したように、同じ終わり方は私は許すつもりはないので、仮に、今回もヤツが生き延びるようなら、この作家に対する評価は一旦リセットさせてもらう。せっかく今借りている「手紙」に手をつけられるのも、かなり遅れることになるだろう。そうならないとは思いたいが、残念ながら確率は低そうだ。
夏休みに読んだ本は以下の通り。夢野久作以外は初めて読む作家。
バルタザールの遍歴(佐藤亜紀)
マルドゥック・スクランブル--圧縮--(沖方丁)
後宮小説(酒見賢一)
Twelve Y.O.(福井晴敏)
白夜行(東野圭吾)
虚無への供物(中井英夫)
ドグラ・マグラ(夢野久作)
姑獲女の夏(京極夏彦)
九十九十九/土か煙か食い物(舞城王太郎)
暗黒童話(乙一)
黒死館殺人事件(小栗虫太郎)
翼ある闇-メルカトル鮎最後の事件(摩耶雄高)
最後のやつは、記事にするの忘れてたね。まあそんなに印象には残らなかったということで、
初読の中で、面白かったものを順に挙げると、
1.九十九十九(舞城王太郎)
2.白夜行(東野圭吾)
3.後宮小説(酒見賢一)
4.姑獲女の夏(京極夏彦)
かな。他の作品をぜひ読んでみたいと思うのも上記の4人。
機会があれば読んでもいいと思うのは、佐藤亜紀、沖方丁(なにしろ完結してない)。乙一と福井晴敏は優先度低め。
なんにしろ、守備範囲が広がり大変結構な夏であった。外国作家?それはまたの機会に...
日本ファンタジーノベル大賞受賞作。
1人の中に二人の人格が同居し、超常的な力が使える...って設定、なんだかピーター・ストラウブの「ミスターX」に似てる?ひたすら酒におぼれる主人公(たち)が面白い。途中で一方が語り手につっこんだり、入れ替わったりして。
二部構成なのだが、「第一部 転落」「第二部 転落の続き」って...:)
ハードボイルドSF?人物の内面描写やバロットが覚醒(再生)する場面などはよく書けている。銃撃戦なども映画を見ているよう。ただ、ストーリー的にはやや弱いかな?3部作なのだが、1作めの本書を読み終えてもすぐ次作に手が伸びるでもなく、待てる程度。
ネタ的なとっつきにくさとは正反対に、一度のめりこむと一気に読めてしまう。これ、最初はリアル中国が舞台かと思ったら、実は架空の国の話なのね。「墨攻」なども今度読んでみたい。
まあまあ面白かったのだが、読み終えるまでに時間かかった。理由は、キャラクターとかがあまりにガンダムっぽいというか、ちょっとキモいんだ。憶面もなくやりすぎてるんで、ちょっとこっぱずかしいというか。Y.O.というのは、どんな謎かと思ったらあっさり解決した。
東野も初読み。
長く、登場人物も多いが、彼らはすべて主人公達を浮かびあがらせる道具立てとして使われているので、苦痛には感じない。むしろ、主人公の内面を書かないことで成功している。誰だよ、そこがわからんで直木賞から落とした奴。この夏で読んだ中でベストといっていい出来。
なんとなく、同じような境遇の宮部みゆき「火車」を連想させる。
函館で読了。ってのは、何か運命的なものを感じ…はしない。
黒死館よりは、ストーリーやキャラクターに魅力があって面白かったな。推理合戦のあたりなど。
あと、途中で叙述トリック的な仕掛けがある。そこはちょっと騙された。
トリックの方はあまり印象に残るものはなかったが、この本の魅力はそこにはないのだろうな。
8年ぶりかで読みかえしてみた。以前に読んだ記憶はすっぽり抜け落ちていた。なので、主人公が記憶をとりもどす旅に同行することに。
上下巻に分かれているが、その上巻はほとんど正木博士関連の資料で占められている。こんな構成だったっけ。凄いな。しかもその作りときたら、すごく情熱を込めて作られている。唄のところとか、調子に合わせて書かれているし。
食わず嫌いで手を出さなかったが、読みだしてみると一気に引きこまれる。なにせ、最初の関口と京極堂の延々数10ページも続く会話。これがこの本の真髄なんだろうね。ミステリかっていると、やや首をかしげるところもあるが、雰囲気は十分。
シリーズもので次も手を出したいところだが、この夏はいろいろな作家に手をだす予定なので、とりあえず後回し。
舞城王太郎は前々からなんとなく気にはなっていたのだが、手をだしあぐねていた作家。
それが、今回、清涼院流水のキャラ「九十九十九」を使った作品を出したということで、
まずは「土か煙か食い物」から読んでみた。
最初はこの文体がとっつきにくいがすぐ慣れて一気に読んでしまう。面白い。面白いが、大ファンになれるタイプじゃないと思った。
続いて九十九十九。こいつは凄いな。この才能は。同じキャラを使った清涼院流水と比べてしまうが、(私は好きの度合なら流水の方が好きだから敢えて言ってしまうが)本家取りで明白に質の高いものができてしまっている。この話、第一話から第七話までで構成されているのだが、第二話まで勧むと、第一話は第二話の中では、送られてきた本の内容(フィクション)ということになっている。そんな連鎖が続くうちに、四話と五話、七話と六話の順番が逆転していたりする。それには理由があって…
知的興奮を満足させてくれる上、物語としても上々。ただ、これだけは言っておく。この話は単独でも十分楽しめるが、流水のJDCシリーズを読んでいれば更に楽しめる。
私がよく行く中原のイタリアンレストラン「ピアチェーレ」って、乙一の行きつけだったらしい、という話を店の方から聞いたり、勧められたりした縁で読んでみた。
最初に抱いた感想は、貫井徳郎だか折原一だかでこんなん読んだなあ、ということ。まあその仕掛けは仕掛けなんですが、一応ホラーと聞いていたのだが別にそんなに恐くはない。雰囲気はなんとなく伝わってはくる。もう1作どれかを読んでみたもいいとは思わせる作家。
清涼院流水の「ジョーカー」のネタに登場もし、作者に影響も与えているようなので、読んでみた。
いやあ、長い。長いし、途中で探偵=法水が披露する蘊蓄が、全然関係ないところから湧いてくるので、出現のたびに唖然とする。辛抱して読めばつながってくるのだが、とっつきにくいことは確か。ストーリーやトリックの方はあまり印象には残らない。そういうところも含めてヴァン・ダインぽい。
どっちかというと私の好みのタイプではないなあ。
清涼院流水ですっかりミステリボケになったみたいで、普通なら気付きそうなこの本の仕掛けも、うっかりスルー。いや、負けおしみはやめよう。仕掛けに気付かせる隙を与えず、ぐいぐい読ませてしまう力がある。現にこれ、ほぼ一晩で読んんでしまったし。
ただ、後でこれ、映画化されたって聞いたけど…マジ?映像化すると、一番重要なポイントが使えないことになっちゃうんですが。
いやー読破しました、JDCシリーズ。今回はコズミックに比べて更にすごい。なにしろ、億単位で殺人があるんですよ。1週間に400万人が死ぬ殺人オリンピックが1年間続き、最後には月が地球に落ちてきて人類が滅亡するんです。そんな犯罪と探偵たちが戦う。。。既に、ミステリの枠を超えてるのがおわかりでしょう。予想はできると思いますが、ミステリを期待して読む読者には、めっちゃ評判悪いと思います。ボリュームもあるしね。で、1000枚を超えるこの長編を読みきった後に待ちうけているもの…人によっては怒りだすでしょうな。それに、「コズミック」「ジョーカー」の洗礼を浮けてない人にもこれ、きついでしょうなあ。ということで、商業的にも失敗が予想されます。ま、でも私は楽しめました。その確信犯(正用)的な外しかた、そして何よりあちこちにちりばめてある「笑い」が好き。「これが小説だったら、人々はあきれるだろう」とかセルフツッコミのような文章とか。人類の存亡を賭けた最後の大勝負が…だったり。
正統派よりもキワモノがどうしようもなく好きだ。「ナイルに死す」よりも、「オリエント急行殺人」や、「アクロイド殺し」が好きなんです。わかる?
ということで、本作はなにやら物議をかもした問題作ということで、読んでみた。
作者のおすすめ通り、コズミック流→ジョーカー清→ジョーカー涼→コズミック水の順で読んだ。
んーまあ、こういうのもミステリとしてはありじゃない?ないとしても、話としては楽しめると思うけどね。
キャラが立っていたり、必殺技推理があったりするのはさておき、遊びの部分がいい。
「犯人は…使用人D!」のくだりなどは、読んでいてふきだしてしまった。
はら君に借りた本、GWかけて読みきりました。
この本のミステリ(謎解き)としての要素は、どこかでこの本の内容(笑いについて)言及しているものを読んだことがあったので、なんとなく分かってしまった。でも別に謎解きが主眼ではなく、歴史的背景や丁寧な人物描写などを堪能できた。
しかし面白かったのは、やはり文書館の中の部屋の図を見ながらいろいろ考える部分かな。最初に頭文字を繋げた単語で見つけたのは、「EGYPT」の部分。その他のは、みつからなかったけど(どうせ英語じゃないと思ったし)
まず上巻だけ買って読んでみた。展開にひきこまれ一気に読めてしまった。上巻の範囲では、叙述トリックなみに仕掛けありまくりなのかもと身構えてしまった。下巻を読むまでの2週間ほど、何度も読み返して色々推理したり。下巻を読んでみたら意外にあっさりしていた。面白かったけど。
いきなり驚いた。1章で主人公がカイロの町に入る描写があったのに、次の章で同じ主人公がまたカイロに近づいていくところに戻っている。しかも微妙に表現が変わってたりして。これはどちらかが夢?どこから夢がはじまり、どこで終わるのかわからない。しかも夢自体もどうやら何重の階層になっているようだ。こういう話は好きだね。ズレイカという娼婦が登場するのだが、彼女は明らかに第一階層あたりの夢にしか存在しないように見える。変なところだけでなく、騙り手の物話の中に出てくる登場人物が、また別の物語をはじめ、更のその物語の中で…のネストの繰り返し。途中観客は「そこはとばしてくれ」と言ったり。そのネストがおかしくてつい笑ってしまう。こういう話で笑わされたのは初めてだよ。
旅行先で、あまり余裕のない時に一気に読んでしまったので、もったいなかった。裏に隠された意味とか、何も咀嚼してない。第三部とか、いろいろ仕込みがあったらしいのだが。
下巻の途中で3ヶ月ほど放置していた本お冬休みに消化した。長いし、難解なんですよ。「時をのみこむ」というような表現もさることながら、人物の感情などについて直接的な描写があまりないからかも。読んでみて、まあまあ面白かった。でもラブクラフトの小説とは別物だと思う。
んーなんだなこれは、結局のところ、オタクに対するエールなんだと思う。
その辺が他の嫌なんとか流と違うところだな。
あと妙に納得したのは、「オタクは遊佐未森などの偽ケルト流の音楽を好む」「初代オタクは中島みゆき、谷山浩子が好き」というあたり。周辺に傍証多数…
筒井戦勝利に気をよくして叙述トリックものを読みまくっているわけですが
最初から分かって読むのはアンフェアという説もありますが、向こうも騙す気満々なのだから仕方がない。
今回もネタバレ注意で。
100ページあたりまで読みました。折原に鍛えられ、だいぶこつが分かってきたのだが、
叙述トリックでは文章、または構成に何かが隠されている。それは表現などで巧妙に隠蔽されているのだが、ある程度その「隠す表現」が続くと、どうも不自然ってことになる。
で、今回は、まず構成があやしい。今回、いきなり冒頭が「エピローグ」になっていて驚いたりするのだが、各節は三人三様、それぞれの視点で書かれているものが交代で登場。なぜこんなぶつ切りで、時間もずれた形で進行していくのか。一つは、三者の時間が離れているのではないかという点。最初の事件と第二の事件に時間差がある可能性は?時間が近しいという根拠は岡村孝子の歌だけだが、歌は「夢をあきらめないで」1987年か。本の刊行は1996年以前なので、数年の時間差はあるのかもしれない。離れていないという根拠は、「前年」という見出しと「雅子が不審を抱く三ヶ月前、前年」という記述のだが、それは雅子の不審の開始をどこにおくかによる。
もう一つは彼らの、特に雅子と稔の関係だ。
稔側の記述を読むと、稔には「母親」がおり「雅子」という稔に近い人物がいることがわかる。
雅子側の記述を読むと、雅子には夫、息子、愛という娘、それに「稔」という人物。
問題は、雅子にとって稔とは、稔にとって雅子とはどういう関係かということなのだが、100ページばかりまででは、どうやらそれが「隠されている点」のようだ。「母親=雅子」「稔=息子」と直接的に描写した表現は見当たらず。47ページに「稔が大学に試験のために出かけた」とある(雅子サイドで「稔」という名前が登場するのはここだけ!)。が、別に学生でなくても大学は行くし、証拠にはならない。
稔が雅子の夫だとしたらどうだ?傍証は結構ある。
・36ページ「同じ文学部の院生だと嘘をついた」院生じゃなくて、先生なのかも。
・72ページ、新宿でひっかけた女の子に「オジン」呼ばわりされている。本当にオジンなのかも?
ということで今度は、「ロートレック荘事件」に挑戦。
87ページまで読了。例によって未読の人はネタバレ注意。
今回きがかりなのは「おれ」という一人称だ。第一章からずっと「おれ」の視点で物語が記述されているのだが、まず第一章と第二章では明らかに「おれ」の対象が入れ替わっているように(一般読者には)読める。一章の語り手は幼少時に重樹自身に怪我をさせた、重樹とは同い年、従兄弟の間柄。二章以降は重樹本人と読める。では、一章の語り手は二章以降でどこに登場するのか。自然な連想では、主人公と同い年である工藤忠明という人物なのだが、よくよく読んでみても、工藤が一章の語り手であった証拠は二章以降、提示されていない(六章までは)。これは二章以降の語り手を工藤であると読者に思わせるミスディディレクション?
もうひとつ気になる点が。二章以降の各章では、「おれ」の語り手である人物は「重樹」である証拠が随所に示されている。が、が、が。七章だけにはその痕跡がない。七章でだけ「おれ」が入れ替わっているかもしれない。では、七章の語り手は工藤なのか?
もう少し大胆に推理をとっぴな方向にとばしてみる。一章ではその語り手は重樹にどんなときもずっと付き従うとある。仮に工藤が一章の語り手でないと仮定すると、一章の「おれ」はいったいどこに行った?
重樹に常に付き従っているのではないのか?実は、一章の語り手は二章以降もそこに、つまり重樹のそばに存在するとしたら?それについては誰も語っていないのだとしたら?
もっと違うバリエーションに挑戦してみる。実は、一章以降「おれ」は入れ替わっていないのだとしたら?
二章以降の語り手も重樹ではなく、重樹のそばにいる「おれ」なのだ。うーむ、これはかなり大胆だな。
まわりのみんなは重樹に語りかけたりしてるから、重樹が口が利けないのでない限り重樹が答えないのは不自然だ。それに三章、四章の語り手は「身長が止まった」旨の記述があり、あきらかに重樹だ。
んー。こんなところで、とりあえず先に行くか…
そういえば、ろころどころにロートレックの絵が挿入されているのだが、これって何か意味あるのかな。
引き続き、ネタバレ注意
うーむ、小松原の姓の件も、ひらがなの件も惜しいところまではいったのだが、結末はその上をいっていた。「じゅん」…の名前は、やつの下の名前に気づくのが遅れたのが心残り。意気込みすぎか、自分の最初の方の推理はかなり的外れで、後から読むと笑えるな。
227ページぐらいまで読んだ。またまた、疑問点が。
島崎というゴーストライターが取材して、手記を書くことになっている。ところが、160ページからの白浜に取材した記事の後に、島崎が白浜に取材する様子が載っている。順番が逆までとはいわないが、双方並べる必要があるのだろうか。この内容を含め、この手記を書いたのは島崎ではないのではないか?という疑問を読者に浮かばせるためだろうか?
他に、島崎が実際に人に取材している様子が描写される箇所をチェックしてみる。白浜のほかには、「季刊児童文学」編集長の野々村真治。手記の中では、野々村は小松原母子に直接会ったことになっているが、島崎との対面の描写では、野々村の記憶はあいまいだ。教師の田所のところでも、島崎が田所のコメントをチェックするという描写にとどまっており、直接会ったという確証はない。
本当に島崎自身が取材しているのか?どうもあやしい。手記の描写は前回の件もあり、信用ならないものとして扱ったほうがいいかもしれない。
島崎は、淳を直接知る人に取材した描写がないのは、何か理由があるのかもしれない。それは、島崎自身が書いてないか、島崎が淳を知る人に合っては不都合ななにかがある(島崎が淳本人であるとか)もしくはその両方である疑いが濃い。
「異人"たち"の館」というタイトルも気になる。「館」というのは小松原の館のことか。異人とは、島崎と他にいるということか。妙子やユキもひょっとして異人なのだろうか。
折原一「異人たちの館」文庫161ページまで読んでのサマリ。未読の人は注意。
・辻褄が合わない。淳が9歳の時に母妙子は譲司と結婚とある。
家政婦の証言に「のうのうといえにやってきて小松原姓を名乗っている」が、ちょっと待て。
妙子も淳もそれ以前から小松原姓ではないか。児童文学賞受賞の時もそうだし、淳が生まれる前もそうだ。
しかもそれが当人たちの言葉でなく、島崎が取材した第三者の証言なのである。これはどういうことか。
・譲司が婿入り?⇒前述の家政婦証言からありえない
・もともと前から小松原姓だった?⇒これはないだろう
・取材された人たちが口裏を合わせている⇒なんのため?雑誌記事までは偽造できないよね。
・島崎が虚偽を書いている?⇒だとすると、小松原妙子らの反応がないのが不自然だ。
・この取材をふくめ、全てが虚構⇒この可能性が高し
・すべては島崎の妄想。
その他気になる点
・三宅が淳を女の子だと言い張る点
・樹海の中の描写で、当事者の性別がはっきりしない点。その他、時間関係などもはっきりしないが…
・おなじく、名前がひらがなで言及される点。
・淳が生まれたときの記述が避けられている点
という本を、本屋で見かけたのですが…
http://secure.ikaros.jp/sales/mook-detail2.asp?CD=M-033
一応各グループの各国紹介と、それにまつわる萌えキャラ3人の雑談、という形で構成されているのだけど、
いまひとつ、誰をターゲット層にしているのかがみえません。実在選手の絵(注目プレイヤー)のイラストは普通だし。
どうせなら、実在選手も全部萌えキャラにして、「萌えカーンvs.萌えレーマン」とかやってくれたほうが、面白いんじゃなかろうか。
読了しました。(ネタバレ有)
まあまあ面白かった。最後の導師の正体のとこはかなり前に分かっちゃってちょい興ざめだったけど。
黄金比のあたりはかなりトンデモな匂いがした。生物界が黄金比にあふれてるんじゃなくて、生物界のいろんな比の中から黄金比のものを恣意的に選んでるだけでしょ。よくエジプトの「ピラミッドの○○の長さは、××をあらわしている!」ってのと同じ。
映画にすると「トゥームレイダー」みたいにはちゃめちゃになってくれるとちょっとうれしいかも。
それにしても、本の中にブルース・シュナイアーの名前が出てくると期待して読んだのに、一度も出てこなかったような…暗号の話は出てきたけど、シーザー暗号並の奴とか、たった10桁程度の暗証番号をアタックするのに数週間もかかるとか、等々。